エコノミックアニマルと言われた時代の突撃精神

新型コロナで環境が変化し、「飛び道具」のような新しい技術が次々に生まれる現代こそ、本質を見極める力は身につけるべきものだ、と。

楠木:1960年代。繊維、機械部品業界からたくさんの若いビジネスマンが海外赴任していました。多くが20代の若者でした。「エコノミックアニマル」と言われていた時代。あのときの突撃精神があった。

 最近、同じ日本人でも若い世代は内向きで、外国に関心を示さない、と問題視されることがあります。同じ日本人なのに、なぜなのか?

 1960年代当時、日本は貧しかったのです。牛肉なんか高級食材であまり口に入れることもない。そんな中で「向こうに行けば、プール付きの家で、毎日ビフテキ食えるぞ」と言われれば、そりゃ行こうとなるのではないでしょうか。多くの会社員が、東京のアパートに家族4人川の字になって寝ていたような時代の話です。

 翻って、今の日本。生活水準は世界の中でも極めて高い。その上、治安もよくて、日常生活に不安がない。実際には、外を向く合理性がないのです。

 こうしたことさえ、「なぜなら日本人は農耕民族だから」って言われることがあるのは、論理の飛躍だと思います。

時代の変化で変わっているものと、そうでない本質、の判別が、同時代的にはできにくいということでしょうか?

杉浦:1973年8月20日号の日経ビジネスで「もし“フレックスライフ”が広がったら 就職・脱サラ自由自在、企業は人生の旅人の一時の宿に!」と題した記事があります。当時話題となっていたフレックスタイム勤務の普及とともに会社に束縛されない自由なライフスタイルが、これから定着していく──新しい時代の到来を予感させる記事となっています。実際にはこの2カ月後には第1次石油ショックが起こり、世の中にそうした余裕はなくなってしまいます。それでも人間の感覚は、全く変わっていないということがよく分かります。

楠木:世界的な投資家のウォーレン・バフェット氏の名言に、「潮が引いた時、初めて誰が裸で泳いでいたかが分かる」というものがあります。昔、誰が言っていたの、ってのは、面白いと思います。これはコロナ危機でも同じだと思います。時間をおかないとわからない。

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