先週、日経ビジネス電子版で深い反響を呼んだのが、早稲田大学商学部の三橋平教授へのインタビュー(<ドラッカーはなぜ、「世界標準の経営学」から忘れられたのか?>および<不況業種で働くあなたが、教養を学ぶべき理由>)だ。
そこで今週は、先週のインタビューのきっかけとなった、三橋教授の学会での報告内容を詳しく紹介したい。
今年9月2~5日に開催された「日本経営学会 第94回全国大会(in Zoom)」で、大きな注目を集めた統一論題の一つが、<「世界標準」の経営学とはどのようなものか、それは進んだ研究なのか>。
早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授によるベストセラー『世界標準の経営理論』で、一般にも浸透した感のある「世界標準」という言葉遣い。その含意と功罪とは?
米国経営学界でそうそうたる受賞歴を持ち、日本人にはまれな「世界標準の経営学者」の一人である三橋教授が、自らの言葉で説き明かす。そんな本稿は、上記学会での発表のために三橋教授が著した「報告要旨」(日本経営学会第94回大会予稿集原稿)を、改めて整理し直したものだ。
学術的な表現に違和感を覚える読者もいるかもしれないが、そこも含めて味わい、堪能していただけることを願う。
入山教授が巻頭解説を著し、三橋教授がコメントを寄せた『世界最高峰の経営教室』の刊行を記念した本企画。この本は、マイケル・ポーター教授、フィリップ・コトラー教授、ヘンリー・ミンツバーグ教授に、「両利きの経営」のチャールズ・オライリー教授や「ダイナミック・ケーパビリティ」のデビッド・ティース教授など、まさに「世界標準」の経営学者が日本の読者に向けて語り下ろした講義録だ。経営学に興味のある方にはぜひ、併せてお読みいただきたい。
1.はじめに
本稿の目的は、統一論題のテーマである「世界標準の経営学」をキーワードに、以下の問いに対する筆者なりの考えを提示することである。その問いとは、
(1)「世界標準の経営学」とは何か、
(2)「世界標準の経営学」はどのように生まれたのか、
(3)「世界標準の経営学」は絶対か、
(4)日本の経営学研究者はどうあるべきか、
の4つである。これらの問いに筆者なりの考えを示すことで、これからの議論のヒントにつながれば幸いである。
三橋平(みつはし・ひとし)
早稲田大学商学部教授
1994年慶応義塾大学総合政策部卒業。2001年、米コーネル大学大学院産業労働関係研究科で博士号(Ph.D.)取得。2000年から筑波大学理工学群社会工学類で専任講師、准教授。2008年から慶応義塾大学商学部准教授、2009年同教授。2019年から早稲田大学商学部教授(現職)。専門は経営学、組織論。 Academy of Management Journal、Strategic Management Journal、Organization Scienceなどの国際的な一流学術誌に論文を多数掲載。2008年、米国経営学会・経営戦略部門最優秀論文賞受賞。2011年、国際経営学会最優秀論文賞ノミネート。2012年アジア経営学会組織・経営理論部門最優秀論文賞。2013年Management Research Review誌Highly Commended論文賞。(写真:稲垣純也)
議論を進める前に3つのお断りをしておきたい。
第1に、以下の議論には、筆者個人のバックグラウンドが多分に影響する。筆者は、社会ネットワーク論と、組織学習論をテーマとし、後述する細分化された分野で実証論文を書いている。そのため、議論が視野狭窄(きょうさく)的な性格を持つ可能性が高く注意が必要である。
第2に、筆者は米国大学院で学位を取得し、その後工学系の職場に就職した経緯から、定量的研究(仮説を立てデータを集めて検証を行うスタイルの研究)のみをしてきた。そのため、定性的研究(現場から知見を渉猟し因果関係を構築するスタイルの研究)に関する論考については他の先生のご意見を参考にしてほしい。
第3に、長い間定量的研究論文の価値を妄信してきたため、それに対する別の考えの存在に気が付いたのはそれほど遠い昔ではない。筆者は日本の経営学会の動向について十分な知識を持ち合わせておらず、平均的な見方、もしくは、誤ったステレオタイプな見方をしている可能性が高いため、この点についても注意が必要だ。
人文知の日本 vs. 科学知の欧米
2.「世界標準の経営学」とは何か?
「世界標準の経営学」を考える前に、唐沢(2014)、Boyer (1990)を参考に、経営学ではどのような知の探究のアプローチがあるかを整理する。筆者は以下の3つのアプローチを想定し、これからの議論を行う。
1)科学知アプローチ:物理法則のような法則性が組織現象にも存在するという前提に基づいた仮説検証型の実証研究を通じた知の探究。
2)人文知アプローチ:物事や現象の本質、あるべき姿や、それらを捉える視点、捉え方の議論を通じた知の探究。
3)実践・経験知アプローチ:自ら、もしくは他者の経験を通じて得た知見の整理、体系化を通じた知の探究。
多くの経営学研究者は、教育活動などを通じ、何らかの形で実践・経験知に関わりつつ、その上で、科学知か、人文知、人によっては両者のバランスを取りながら、もしくは、どちらかにウェートを置きながら関わっているだろう。
筆者の印象では、日本には人文知アプローチの研究者が多く、欧米では科学知アプローチの研究者が多いと思われる。
ただし、欧米では以前から人文知が不活発であったわけではない。欧州では、むしろ人文知が経営学の中心であったが、ここ20年で科学知にシフトしてきた。
米国でも伝統的にバランスを欠いていたわけではない。例えば、1998年のアメリカ経営学会 (Academy of Management / AOM) のキーノート・スピーチは、Peter Drucker(編集部注:ピーター・ドラッカー)で、その翌年はJames G. March(編集部注:ジェームズ・マーチ)であった。
ドラッカーを「読まない」のでなく、「読まなくなった」
入山 (2012) の「米国の経営学者はドラッカーを読まない」という指摘は、「読まなくなった」の方が正確で、MarchよりもDruckerが先にキーノート・スピーチに招待されていることにも意味があるだろう。
事実、筆者が1990年代後半に学んだ米国の大学院では、Weber(編集部注:マックス・ウェーバー)、Taylor(同:フレデリック・テイラー)、Bernard(同:チェスター・バーナード)、March(同:ジェームズ・マーチ)、Selznick(同:フィリップ・セルズニック)、Berger and Luckmann(同:ピーター・バーガーとトーマス・ルックマン)、Thompson(同:ジェームズ.D.トンプソン)といった論文ではない古典研究書が大学院の必修科目で課されており、少なくとも当時は、大学院教育に人文知も不可欠と考えられていた。
しかし、後述の通り、欧米では人文知アプローチへの関心は急速に薄れている。欧米イコール世界は短絡的な見方であるが、「世界標準の経営学とは何か」に端的に答えれば、それは科学知アプローチであると言えよう。
では、この「世界標準」たる科学知アプローチとはどのようなものか、その特徴や前提、背景にある考え方をまとめてみよう。
第1に、トートロジカルではあるが、世界のメジャーな学会(例えば、AOM)や、トップ・ジャーナル(例えば、Administrative Science Quarterly、Academy of Management Journal、Strategic Management Journal、Organization Science)で採択される論文が採用しているアプローチである。
世界の大学ではトップ・ジャーナルで論文発表を行った研究者に対して採用、昇進機会が与えられるため、多くの研究者が限られた発表機会を競い合うことになる。ジャーナル論文偏重の傾向は研究者の行動様式に影響を与えるだけでなく、大学院での院生トレーニングの方法にも影響を与えている。人文知に関連した研究書よりも、実証研究論文を多く読み、哲学的、概念的な議論よりも、計量経済学とプログラミングの知識の取得に多くの時間を割くようになっている。
「効率的な論文生産」のメカニズム
実証論文では、例えば、そもそも組織とはどのようなものなのか、従業員と企業はどのような関係なのか、という根源的に問いを見つめ直す機会を省力し、既存の視座とその前提に従うことで、効率的な論文生産が可能となる。
第2に、科学知アプローチでは、組織・企業・個人の行動やパフォーマンスには物理学で見られるような法則性があるという前提を置き、一般性、再現性の高い因果関係の論証と検証を目指している。ここでの論証とは、仮説で主張する独立変数と従属変数の関係についての説明であり、その背景や前提、因果関係を丹念に検討していくことが求められる。
第3に、科学知アプローチでは、実証だけでなく、文献に対する貢献度を重視している。
実証研究とは単に新しい変数を作ったり、変数間の新しい関係を見つけたりするだけでは論文として成立しない。これらの新奇性が、その分野の最先端知識をどのように、そして、どの程度進めるのか、それを進めることがどのように意味を持つのか、を明示する必要がある。
科学知アプローチの論文は、先行研究のギャップや先行研究間の対立の指摘から論を起こすことが多いが、これは論文の学術的な貢献を主張するプロセスである。
なお組織論分野では新しい理論や理論的視座が久しく生まれていないこともあり、既存理論の命題を仮説化し検証します、という教科書で紹介されるような古典的なやり方では不十分である。
「相関関係と因果関係」の問題を解消する「因果推論」
最後に、以前の実証研究では、相関関係と因果関係の違いが不明確なものも多々あったが、近年は研究者の努力によって、信頼性、確実性は向上している。因果推論に対する関心によって、少なくとも以前よりは、実証結果に対する信頼が高まっていると考えられる。
■参考文献
Boyer, E. L. 1990. Scholarship Reconsidered: Priorities of the Professoriate. Princeton, NJ: The Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching.
入山章栄 2012 『世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア』英治出版
唐沢かおり 2014 『新 社会心理学: 心と社会をつなぐ知の統合』(編著)北大路書房
(次回に続く)
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【推薦の言葉】
■安田洋祐氏(大阪大学大学院経済学研究科准教授)
「経営論を超えて生き方から資本主義の未来まで。知の巨人たちのビジョンは、不確実なこの世界を進むための羅針盤だ!」
■入山章栄氏(早稲田大学大学院、早稲田大学ビジネススクール教授)
「まさにドリームチーム。ビジネスに示唆のある先端知見を持つ、最高の研究者をノンジャンルで集めた、世界を見渡しても他におそらく存在しない唯一無二の1冊」
■御立尚資氏(ボストン コンサルティング グループ シニア・アドバイザー)
「経営者は経営の玄人だが、往々にして経営学は素人同然だ。経営学者のほとんどが経営の素人なのと変わらない。なので、日々の決断と理論とを結びつけることができれば、世にも稀(まれ)な競争優位性ができあがる。本書の価値は、その結び付けの道しるべであることだと思う」
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