一橋ビジネススクール教授の楠木建氏と社史研究家の杉浦泰氏がタッグを組んだオンラインゼミナールの人気シリーズ「逆・タイムマシン経営論」。
これまで多くの企業が、日本より先を行く米国などのビジネスモデルを輸入する「タイムマシン経営」に活路を見いだしてきた。だが、それで経営の本質を磨き、本当に強い企業になれるのだろうか。むしろ、大切なのは技術革新への対応など過去の経営判断を振り返り、今の経営に生かす「逆・タイムマシン経営」が重要だと主張する。
経営判断を惑わす「飛び道具」「激動期」「遠近歪曲」といった3つの「罠=トラップ」をどう回避すればいいのか。近過去の歴史を検証すれば、変わらない本質が浮かび上がる。戦略思考と経営センスを磨く「古くて新しい方法論」を提唱する両氏が、シリーズに大幅に加筆した書籍『逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知』(日経BP)を発売した。
本書の発売に合わせて、楠木氏と杉浦氏に、今なぜ逆・タイムマシン経営論なのかを聞くシリーズの第1回。今回はコロナ禍で発生している「同時代のノイズ」などを取り上げる。
(聞き手は山崎良兵、大竹 剛、藤田宏之)
楠木 建
一橋ビジネススクール教授。1964年生まれ。89年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年から現職。専攻は競争戦略。 写真:的野弘路
杉浦 泰
社史研究家。1990年生まれ、神戸大学大学院経営学研究科を修了後、みさき投資を経て、ウェブエンジニアとして勤務。そのかたわら、2011年から社史研究を開始。個人でウェブサイト「The社史」を運営している。写真:的野弘路
目の前で起きている情報を整理して正しく伝える、という役割を持つ我々メディアにとっては、「逆・タイムマシン経営論」は、過去に書いた記事の答え合わせを強要されているような部分もあります。実際、本書に登場する記事の中には、聞き手の1人である山崎が10~20年前に執筆したものがいくつかあり、ドキドキしながら読みました。
楠木:逆・タイムマシン経営論では、過去の雑誌や新聞の記事などを題材としますが、受け手である視聴者や読者の側は、それらが商業メディアであることを忘れてはいけません。本書でトラップの1つとして取り上げている「激動期」といった言葉にしても、雑誌を買ってもらうためにはもちろん必要なキーワードだと思います。仮に「今こそ平常期」という特集を掲載した雑誌を作ったとしても、誰が買いますか? 私のようなひねくれ者は逆に読みたい、と思いますが(笑)。
商業メディアに「売れそうな見出しを立てるな」というのは、「ヘビにくねくねするな」と言っているようなもので、ナンセンスです。結果として生まれる「同時代のノイズ」を含めてその記事が貴重な史料となるのです。そうした面がある前提で、様々な記事を読み解くセンスを磨くことがとても重要になります。
新型コロナは逆・タイムマシン経営論の格好の題材
その意味で新型コロナウイルスに関する一連の報道は、とても興味深いケーススタディーになりそうですね。
楠木:新型コロナには「同時代性の罠」が圧縮されています。逆・タイムマシン経営論の考え方で、近過去を検証するには最高の題材と言えるでしょう。近い過去と言っても、超近過去になりますが、今年の2、3月との現在の比較でも、逆・タイムマシン経営論的には、すでに意味があります。「誰それがウイルスをバラまいたんじゃないか」といった報道など、いろいろありましたよね。
特に不確実性の⾼い新型コロナのような場合、歴史からくみ取れる事実が判断の基準として頼りになります。「人間の本性」や「世の中の持っている一番基礎的な性(さが)」のようなものは変わらないからです。不確実性が⾼い状況での意思決定ほど、変わらない軸⾜が必要になります。
コロナ禍で「判断が難しい」と言う経営者もいましたが、そりゃないだろうと思います。そういう難しい判断をするためにトップマネジメントは存在するはずです。こうした経営者は、変化する表面に見える出来事に目を奪われ、入ってくる情報の多さに目を回しているだけなのです。これが、まさに「激動期トラップ」です。判断する基準がないから目を回してしまう。その基準となるのが「歴史」なのです。
期せずして、新型コロナが逆・タイムマシン経営論の仮説検証にぴったりはまる事例となったわけですね。
楠木:ただ、この本ではあえて新型コロナに⾔及することは避けました。なぜなら、5年経ったら多くの人が忘れていると思ったからです。『史上最悪のインフルエンザ──忘れられたパンデミック』(アルフレッド・W・クロスビー著)という書籍があります。これはスペイン風邪を題材にしたパンデミックの解説書です。著者がこの本を書いた動機は、副題にあるように、「あれほど⼤騒ぎした出来事だったのに、なぜみんなさっぱり忘れてしまったんだろう」という不思議にあります。
歴史はまた繰り返し、だいたいは元に戻る。それが歴史の教訓です。これを私感として、あるTV番組でコメントしたら、ものすごい批判を浴びました。「この緊急事態に何を言ってるんだ」と。同時代のノイズを実感した体験でした。「たいへんだ!」と騒いでいないと、心が落ち着かない、不安になる、という心理が働くのが「人間の本性」だと思います。それを身をもって体験するいい機会となりました。
杉浦:コロナではありませんが、オイルショックの事例を社史で検証してみたことがありますが、だいたい7年くらいすると年表の1行以外には、ほとんど記述がなくなり、忘れられているケースが多かったです。
コロナショックは1918年の米騒動に似ている
コロナショックを、逆・タイムマシン経営論に書かれているような歴史を振り返る形で検証すると、どのように評価されるのでしょうか。
楠木:私は、コロナショックは「危機」ではなく「騒動」だと思っています。一番腹落ちした歴史的事例は、1918年の「米騒動」です。食料危機ではなく、価格高騰をきっかけに米蔵の焼き打ちなど全国的な暴動が起きたものです。
新型コロナウイルスによる感染症も致死率などを冷静にみれば、現時点での話ですが、日本を含むアジアでは、インフルエンザの致死率と比べても、必ずしも⼤きく突出したものではありません。ただ、治療薬やワクチンがないことなどから、人の世の常として不安が増幅しやすい状況であることも確かです。
コロナに限らず何事もそうですが、コントロールできるものとできないものがある。できないものを何とかしようとすると、悪循環に陥ります。コントロールできないことはジタバタしても仕方がない。でも⼀⽅で、コントロールできることもたくさんある。後者に意識を集中して物事を考えていくことが大切です。
コロナショックと⽶騒動は、具体のレベルでは全く別の現象であることは⾔うまでもありませんが、少し抽象度を上げて、「これって何?」という「本質」を考えると、歴史に学ぶことは大変有用な手法だと実感できるはずです。
米作家のマーク・トウェインの言葉に「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というものがあります。時代は変わっても、人間の行動には共通点が多い。まさにそのエッセンスを学ぶには、近過去の振り返りが重要ということですね。
楠木:「⾯⽩くてためになる」が⼀番いいと私は思っています。「つまらなくてためにもならない」は論外ですが、
ビジネスに関わる本の場合、「ためになる」が優先することが多いので、「ためになるけども面白くない」ものが多い。この本は、「⾯⽩くてためになる」を目指しました。
古新聞と古雑誌は何よりも面白い
古新聞と古雑誌は私にとって何よりも面白いものです。家の整理をしていて、例えば、古新聞が出てきたとして、10年前の新聞紙にふと目をやると当時の出来事が書いてある。読んでいて面白くて、めちゃくちゃ好きです。10年前の世界が生きているようで、すごく面白いと思う体質なのです。
今はインターネットがありますが、昔は電子的なアーカイブがありませんでした。ひたすら図書館の中にいて、雑誌の記事目録を見ていました。例えば、特定の企業についての記事を調べるとしたら、日経ビジネスの何年何月何日号をひっぱりだしてコピーを取る。今はネットを使えば、1秒で済みますが、当時は1時間かけてやっていた。
昔の資料整理、物理的な紙の雑誌のバインダー、めくっていくと面白くて仕事にならない。1本の記事のコピーを取りに来たのに、もう始まっちゃうと面白くて仕方がないので、ほかの記事までずっと読みふけってしまう。そのうちに日が暮れてしまう…。⼀⾒無駄な時間ですが、人間と人間社会の本質を理解するうえでとても有用でした。
目の前で起きている出来事を理解する際に、いかに人間がロジック(論理)を飛ばしてしまうかが見えてきます。「同時代のノイズ」というのは、ロジックを殺してしまうものだな、ということが如実に分かる。これが私の原体験です。
それが経営学者としてのその後の仕事にも生きている?
例えば、米エネルギー大手だったエンロン。イノベーティブだという記事が世界中で取り上げられていましたが、私は、これって、安定的に成長可能なモデルなのかな、と疑問を持っていました。論理的に考えると疑問が出てきます。もちろん、その後不正会計で破綻するなどといったことが予想できたわけではありませんが、何も見ても聞いても、その事象の背後にある論理を考えることが大切だと思います。
同時代のノイズがロジックを殺す。それを回復するのがセンスです。私はスキルではなく、むしろセンスだと考えています。
逆・タイムマシン経営論は、典型的な教科書がない「センス」を磨くためには有用な方法だと思います。その上、低コスト。下手をすれば負の価値を持つものとして放置されてきた過去のアーカイブが教材になるのですから。
題材としては、古今東西ありとあらゆる歴史的事象から学ぶことができるというわけですね?
いま改めて「人間の本質」を知るのに役立つな、と思ったのは、太平洋戦争の時に空襲を受けた人々の日記です。一時期興味を持って、高見順さんを始め、市井の人の日記まで、たくさん読みあさったことがあります。文面から伝わってくるのは、その恐怖の凄まじさ。今のコロナと違い、攻めてくる側が破壊の意思を持っている。恐ろしいのは当たり前です。
ところが、⼤半の⽇記に共通しているのが、「慣れ」です。これが面白い。最初の頃は、みな、防空壕(ごう)に必ず入って出てこない、ということを励行しています。身を隠していても空襲の間は、とにかく震えが止まらない。しかし、半年くらい経つと、徐々に慣れてくる。人によっては、まだくすぶっている家屋のがれきに近寄ってタバコに火を付けたりする余裕さえ見せます。⼈間の適応⼒を思い知らされました。
一方で、気の緩みを戒める雰囲気も社会にはあったようで、例えば、防空壕に入らないと「非国民」と怒られる、といったことが書き残されています。コロナ禍の現代にも通じるものがあるように思います。
コロナショックと、米騒動、東京大空襲といった歴史が、「人間の本質」という視点で見れば実はつながっている面がある、というのが歴史のロジックの面白いところだと思います。
もともとは先端産業従事者が少なかったシリコンバレー
経営やビジネスの分野でも、同じように学べる点が多い?
楠木:コロナ禍のような世界全体を巻き込む大きな事象はもちろんですが、企業の経営やビジネスの歴史の中でも、同じロジックが働いています。過去50年くらいの近過去であれば、イマジネーションが湧きやすい。同時に、自分なりの人間洞察が生まれます。
杉浦:例えば、1982年7月26日号の日経ビジネスで「先端技術 米産業最後の生命線」と題した特集記事があります。鉄鋼や造船など重厚長大型産業が日本などの新興勢力に押されて衰え続けていた米国で、次世代を担う産業として期待されていたハイテク産業の実態を特集したものです。
その後の歴史を知る私たちの立場からは、たいへん面白く読めます。たとえば、マイクロソフトの扱いが意外に小さいこと。先端産業従事者の人口分布なども紹介されているのですが、後にシリコンバレーとして有名になるサンフランシスコ周辺は意外に少なくて、ワシントンDCエリアが多い。この時代のデータから推測すれば、ワシントンDCがハイテク産業の中心地になっていく、という推測も成り立ちます。
楠木:未来を正確に予測することなど、誰にもできません。ただ、今ある情報の多くが「同時代のノイズ」として、自分を間違った判断に導く可能性があることを分かっていることが重要だと思うのです。
優れた経営者は、そういった危険性を熟知していて、自分なりの判断基準を持っています。「意思決定が速い、ブレない」と評価される彼らと接していて思う共通点は、常に「いつかどこかでみた」という感覚で物事をみていることです。本⼈のこれまでの具体的経験が、「要するにこういうこと」という本質的なロジックに抽象化されて、頭の中の引き出しに詰まっている。判断が必要な時には、引き出しからそのロジックを取り出してきて、それに照らして考え、行動する。
逆・タイムマシン経営論は、自らの経験がそこまで豊かでなくても、疑似的な経験としてそうした引き出しを増やせる方法の1つだと思っています。
どんな人でも放っておくと同時代のノイズに包まれてしまうので、一度、(近過去の歴史を振り返る)逆・タイムマシン体験をしていただきたいと思います。こんなに馬鹿げたことを考えていたのか、といった笑いがあるのも、この学びの魅力の1つです。往々にして、笑いの中に本質があるものです。
「飛び道具トラップ」「激動期トラップ」「遠近歪曲トラップ」。経営を惑わす3つの「同時代性の罠」を回避せよ! 近過去の歴史を検証すれば、変わらない本質が浮かび上がる。戦略思考と経営センスを磨く、「古くて新しい方法論」。『ストーリーとしての競争戦略』の著者らの最新作!
これまで多くの企業が、日本より先を行く米国などのビジネスモデルを輸入する「タイムマシン経営」に活路を見いだしてきた。だが、それで経営の本質を磨き、本当に強い企業になれるのだろうか。むしろ、大切なのは技術革新への対応など過去の経営判断を振り返り、今の経営に生かす「逆・タイムマシン経営」だ。
経営判断を惑わせる罠には、AIやIoT(モノのインターネット)といった「飛び道具トラップ」、今こそ社会が激変する時代だという「激動期トラップ」、遠い世界が良く見え、自分がいる近くの世界が悪く見える「遠近歪曲トラップ」の3つがある。
こうした「 同時代性の罠 」に陥らないためには、何が大事なのか──。近過去の歴史を検証し、「新しい経営知」を得るための方法論を提示する。
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