フィギュアスケートとスピーキングの共通点

 フィギュアスケートの採点のようなものです。絶対の「正解」がなく、何通りもの表現が可能です。ほぼ無限に存在する解答を、誰に対しても同じ基準で、ぶれなく、公平かつ正確に採点しなければなりません。これは人間にとって至難の業です。

 例えば、オリンピックのフィギュアスケートのように、同一メンバーの採点チームがすべての受験生を評価するのであれば、まだいいでしょう(それでも、オリンピックでの採点に批判は多々ありますが)。しかし、都立入試の受験生は約8万人。これだけの人数のスピーキングを短期間で採点するとなると、「オリンピック方式」は採用できません。そうなると、さまざまな採点者が、さまざまな受験生を採点することになります。ぶれが生じやすくなり、誰に採点されたかで、受験生の明暗が分かれかねません。

 このような採点の公平性、正確性に対する当然の疑問に対し、都教委が発表している資料のなかに、私は納得できる答えを見つけられませんでした。生徒たちがタブレットに吹き込んだ音声を、その後、誰がどこで、どのように採点するのかという、重要なことがほとんど説明されていません。

 テストの内容の適切さはもとより、採点の公平性、正確性が担保されていないという意味でも、今回のスピーキングテストには、おおいに問題があると考えます。

得点に、経済格差が反映される懸念が

 もう1点、指摘しておきたい問題があります。

 英語スピーキングテストにおいては、一般に「発音がいい子」が高く評価されやすい傾向が否めないと思います。

 もちろん、スピーキングテストの採点基準は、発音だけでなく、語彙や文法、論理構成も含まれます。今回、東京都が活用を予定している「ESAT-J」も、公開されている資料によれば、そうなっています。しかし、スピーキングテストは、採点者にスピーディーな判断を求めます。耳から入った文章について、語彙や文法、論理構成の適否など複数の基準を適切に重みづけて、瞬時にぶれなく評価することは、プロの採点者であっても非常に難しいものです。一方、発音がネイティブに近いかどうかは、聞けば直感的にわかります。そのため、採点すべき受験生が多く、採点者の負荷が増せば増すほど、「発音」の比重が高くなると考えられます。

 そうなると、幼少期を英語圏で過ごした帰国生や、幼少時から英会話スクールに通った子どもが有利となります。そしてその多くは、平均的な家庭よりも経済的に余裕がある家庭の子どもです。

 これはデータで証明されたうえで述べているわけではありません。しかし、認知科学の知見に基づき、人間の情報処理や判断の特性を考慮すれば、英語スピーキングテストの採点において「発音や流暢性が文法の正確さや単語の適切さよりも比重が高くなるのではないか」というのは、ごく自然な懸念です。ですからテスト施行者である都教委とベネッセには、その懸念を払拭できるだけのデータを提供する責任があります。すなわち、十分な人数の採点者のサンプルを用いて「発音の良しあしや流暢性は得点に影響しない」というデータをテスト施行者が提供する必要があるのです。

 そうでなくても、経済格差が学力格差につながりやすいのが、今の日本社会です。公立高校の入試結果に、経済格差が反映されやすくなるという意味においても、都立高校入試に「ESAT-J」を導入することは、適切ではないと言わざるをえません。

 そもそも本当の「国際人」とは、どのような人なのでしょうか。

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