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 社長を怒鳴り散らすような情熱的な指導で知られた経営コンサルタントの故・一倉定(いちくら・さだむ)氏。1999年に80歳で亡くなるまでに、大中小1万社以上の企業を指導したとされる。一倉氏の思想を学んできた経営者は多い。

 「鬼」「炎のコンサルタント」とも呼ばれた同氏はなぜ日本の多くの経営者に支持されたのか。そしてコロナショックの今、再び注目されている理由は――。その答えを探る上で、貴重な題材となるのが、アイリスオーヤマである。

 アイリスオーヤマの大山健太郎会長は、20代の頃、一倉氏の講義を聴き、その経営学、社長学を学んだという。「私の経営の原点は一倉定」。大山氏はそう明かす。アイリスオーヤマがコロナ下で業績を飛躍的に伸ばしていることと、一倉氏が再び脚光を集めていることに、どんな関連性があるのかを考えた。

 一倉定氏の初期の著作にして、名著とされる『マネジメントへの挑戦』が世に出たのは、1965年。その1年前の1964年、高校を出たばかりの19歳の青年が、東大阪のプラスチック成型工場を継いだ。父、大山森佑氏ががんに倒れ、大学進学を諦めた大山健太郎氏である。当時の大山ブロー工業にいた従業員は5人。大山氏はこう振り返る。

 「プラスチック製品の下請け加工で、孫請け以下の零細企業。機械はどれも中古だった。当時の年商は500万円。経営の相談がしたくても、父はもうこの世にいない。もちろん、『こうしたほうがいいよ』とアドバイスをくれる上司もいない。誰にも頼れず、白紙状態で経営者人生を歩き始めた。なぜ、うまくいかないのだろう。どうすればうまくいくのか……。毎日が『なぜ』『どうすれば』の繰り返しだった」

アイリスオーヤマの大山健太郎会長(写真/尾苗清)

 暗中模索を続けながらも、プラスチック製の養殖用ブイなど自社商品を開発し、積極果敢に脱下請けを進めていた頃、大阪市内で開かれた講演会に参加する。それが、一倉氏の講義だった。まだあどけなさが残る20代の大山氏にとって、一倉氏の講義は、約50年の時を経てもその熱量が脳裏に焼き付いているほど、大きなインパクトがあった。

「現場を見てこい。穴熊社長になるな!」

 「極端な言い方をすれば、それまでの経営者というのは、経営者の集まりで酒を飲んで、社員には文句ばかり言っていればよかった。特に創業社長はジコチュー(自己中心的)な人ばかりで、完全な上意下達。一倉さんは、『そんなんじゃあ、ダメだ。外に出ろ、現場を見てこい。穴熊社長になるな!』と吠えていた」。

 大山氏はすぐさま、一倉氏の書籍と講義テープを買い求め、弟の富夫氏(現副会長)とともに、時間を惜しんで学んだ。「私の経営の原点は一倉理論」と大山氏は言う。

 その会社は、今やグループの売上高が約5000億円(2019年12月期)。20年12月期は新型コロナを受けてインターネット通販が急伸し、短期間で整えたマスクの量産体制の効果もあり、2000億円も増え、約7000億円になる見込みだ。大山氏の最新刊『いかなる時代環境でも利益を出す仕組み』に詳しいが、東大阪の零細町工場が7000億円企業に化けたのは、一倉理論を忠実に実践したからともいえる。一倉理論を学んだ経営者はごまんといるが、誰よりもその神髄を吸収し、それを仕組みに落とし込んだのが、大山氏だったのだ。