日本と欧米のマネジメント習慣の違いを改めて知るべきだ

PDCAが本来の役割を果たしていないわけですね。

稲田氏:これは欧米式のマネジメントの皮相的な理解で行われた組織マネジメントに起因します。まず日本と欧米のマネジメント習慣の違いを改めて知ったほうがいいと思います。

 欧米では人が治める「人治」のマネジメントが定着しているため、マネジャーは「Do this(これをやってください)」という形で指示を出します。つまり明確に「これをやってくれ」と伝えるわけです。入社時に締結する雇用契約では一般的に、上長の指示に従わなかったら解雇の対象になることを記しています。指示・命令に従わない場合は即刻、解雇でもおかしくありません。

 しかし、こうした感覚は日本企業にはありません。指示は明確でないことが多く、指示違反で即解雇になることもほとんどなく、面従腹背など当たり前のごとくに横行しています。もちろんこれは現場が強い日本ではおかしな指示に対する安全弁として機能することもあり、必ずしも悪く作用しているわけではありませんが。

 PDCAという点から言えば、欧米企業ではマネジャーが「これをやればできる」と伝えますし、PDCAを回す主体はマネジャーです。マネジャーは指示を出した結果どうだったかを知り、結果に合わせてこう修正しろといった形で指示しています。PDCAを回す単位、つまり責任が明瞭なわけです。

 しかし、日本企業のマネジメントはこの点において責任が曖昧で、業務の指示が的確になされていないケースが目立ちます。マネジメントのスタイルが違う日本において欧米のマネジメント手法を形式だけ入れて、上席者は指示だけすればいいと錯覚し、そこに勝手に解釈したPDCAを唱え始めたために起きた問題であり、ここから生じたひずみがコロナ禍において鮮明に露呈したのです。

なぜこんなことになったのでしょうか。

稲田氏:歴史をひもといてみると、経営理論と呼ばれるものはほとんどが米国発です。例外的なものが欧州で生まれた「ブルーオーシャン戦略」くらいではないでしょうか。PDCAサイクルの原型になっているのは、1930年代に米国のシューハート博士が考えたシューハート・サイクルであり、これは分かりやすく言えば、モノづくりのプロセスにおいてどこに問題があるか特定して正す問題解決のためのステップです。

 シューハート・サイクルを分かりやすくシンプルにして日本でPDCAサイクルとして展開したのが、デミング賞で知られるデミング博士であり、PDCAをエンジンとして日本ではTQCブームが起きました。これが日本の製造業の力を高め、世界の市場を席巻し、世界中の資金が日本に集まり「ジャパンマネー」という言葉まで生まれました。

 しかしTQCは急激に広がり過ぎたことから、指導教官の質が追い付かなくなり、一部の不埒なマネジャーがつくったねつ造資料を見抜けなくなるなどの課題が浮上して下火になっていきました。

 それでも米国の経営ノウハウはすごいといった印象が日本の産業界には残りました。そこに米国発の戦略論、組織論が紹介されてTQCで定着していた組織運営の作法をちょうど上書きするような形で広がっていきました。つまり「マネジャーがすべての責任を負って担当組織に指示を出す」「成果につながるPDCAを回す責任と主体はマネジャー」「丸っとPDCAを任せるのはそれなりの収入を伴い評価された担当者」「それでも成果の最終責任はマネジャー」といった欧米のマネジメントの前提になる部分を理解しないまま、米国式経営といわれるさまざまな理論を経営に持ち込んだのです。このため、「数字や打ち手を落とし込む」と称して「丸投げ」してしまい、うまくいかないときは平然と部下のレベルのせいにして通してしまうマネジャーが横行し始めました。

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