鈴木:例えば、分子の中に、1つ、異質な分子が発生する。そして、その分子と衝突すると、正常な分子が異質な分子に変わる。接触感染のようなイメージです。このような事象は、分子が密集していなければさほど発生しませんが、密集している状況では、確率論的に増大します。

 パンデミックの発生は、突き詰めれば、確率論でとらえられるでしょう。

 「分子の一部に、異質な性質を持つものが現れ、その分子と接触した分子は、一定の割合で、異質な性質を帯びる」という事象は、比較的シンプルな数理モデルで計算可能であるはずです。

感染症を、確率論でとらえれば

 しかし、一方で、分子の側に「ウイルスを拡散させたくない(他の分子の性質を変えたくない)」「罹患(りかん)したくない(自分の性質を変えたくない)」というインセンティブが働き、運動量が抑制される傾向が生まれる。ネゲントロピーが働くわけです。

 さらに、接触したときに、どの程度の割合で異質な性質を帯びるか、という確率も、分子であるところの人間の知識や規範によって変化します。例えば、マスクを着用する人が増えれば、感染率が下がる。このような個々の動きの変化に加えて、ロックダウンによって、一定範囲に存在する分子の動きがダイナミックに変わるという要因もあります。さらに、コロナ疎開のように、感染率の高いエリアから、低いエリアに移動するというエントロピーの増大が加速する力も働く。

 これらを数理モデルで表現すれば、どこの動きをどうブロックすることが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を抑制するのに有益であるかを、検討できます。このような動きはすでにあり、例えば、パンデミックを防ぐために必要な外出抑制の目標を算出するといった試みがなされています。今後、分子の動きや、分子の変化に働くパラメーターを詳細に設定することで、より有益な情報が得られるようになっていくでしょう。

 今回、お話ししたことは、私が、感染症の歴史を概観して得た「雑感」にすぎません。しかし、このような考えを巡らせた結果として今、私は、熱力学をあらためて学び直したいという気持ちに駆られています。熱力学や統計力学、情報科学などの研究分野は、新型コロナウイルス感染症対策に貢献できる可能性を大いに持つ存在だと考えます。

「歴史学の視点から見たとき、感染症は世界をいかに変えてきたのか」

 この問いに歴史学者として答えることを通じて、新型コロナウイルスがぼくらの社会にもたらす変化を予測する材料を読者に提供したい。

 * * * 

<主な内容>

【ペスト】地中海を海上輸送された「黒死病」は、民衆に力を与えた
【天然痘】「消えた感染症」は、医学にイノベーションをもたらした
【コレラ】蒸気機関が運んだ「野蛮な病」は、都市改造を促進した
【インフルエンザ】第一次大戦が拡散した「冬の風物詩」は、ナチス台頭を準備した
【新興感染症】病原体と人類の進化は続く
【COVID-19】「ポスト・コロナの時代」は来るか?

 * * * 

 社会経済史を専門とする歴史学者である著者が「感染症と人間社会の相互作用=人間社会の変化が感染症に影響し、感染症の変化が人間社会に影響する」 という観点から、 過去に感染爆発を起こした代表的な感染症について、体系的に概説します。

 各章末には、それぞれの感染症についてより深く理解するうえで役立つ名著、良書を紹介するブックガイドを付しています。

この記事はシリーズ「Books」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。