鈴木:かつて人類が、狩猟や採集を生活の基盤としていた時代には、一定の面積から得られる資源には、おのずと上限があったと考えられます。ゆえに、人々は資源を求めて拡散、つまり移動生活をしていたわけです。すなわち、エントロピーの増大です。

 しかし、農耕が開始され、定住生活が始まると、技術開発で単位面積あたりの食糧生産量を増やす、ということが可能になり、生産効率が上昇していきます。この結果、人口密度を高く維持することが可能なエリア、つまりエントロピーを凝縮できるエリアが生まれ、都市が形成されました。

 20世紀に入ると、いわゆる「緑の革命」によって、食糧の生産効率は劇的に上がりました。さらに、化石燃料を中心としたエネルギーの利活用に伴い、ロジスティクス(物流)が整備されたことで、かつてないレベルでエントロピーの凝縮が可能になりました。

 しかもその間、人口総数は増えています。総数の増えた人間が、もともとエントロピーが凝縮している都市にさらに集中する環境になると、どのようなことが起きるか。

人類が1人ならば、犯罪は起きない

 例えば、犯罪は増えるでしょう。そもそも地球に人間が1人しかいなければ、対人の犯罪は成立しません。人間が2人いたとしても、地球の一方の極と、他方の極に1人ずついるという状態ならば、やはり対人の犯罪は成立しにくい。しかし、人数が増え、それらが限られた空間で活動する状態――つまり、エントロピーが凝縮した状態――になれば、互いに衝突し、犯罪が成立する可能性は高まります。

 感染症の流行も、構造としては、これと同じではないでしょうか。

孤島に1人で暮らす人は、「病気」にはなっても、「感染症」にはなりえない。そんな指摘が、『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたのか』の冒頭にあります。

孤島に1人なら、感染症は成立しない

鈴木:そうでしたね。その点には完全に同意するというか、当然そうですよね、という話です。

 人を気体の分子のようなものとしてとらえれば、現代社会においては都市部に人が集中しているというエントロピーが凝縮された状態が維持されている。つまり、人と人との距離が近い密の状態にあるので、影響が相互に伝播(でんぱ)しやすい。

 そのような状態においては、何であれ、局所的に発生した事象が、そのエリアを中心に伝播しやすい。最近よく耳にする「クラスター」です。

 これは、確率論の問題です。

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