社長を怒鳴り散らすような情熱的な指導で知られた経営コンサルタントの故・一倉定(いちくら・さだむ)氏。1918年生まれで1999年に80歳で亡くなるまでに、大中小1万社以上の企業を指導したとされる。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏をはじめ、一倉氏の思想を学んできた名経営者は多い。

 一倉氏は、「社長が変われば、会社は変わる」と主張し、社長に焦点を当てて企業を指導してきたことから「社長の教祖」とも呼ばれている。「鬼」「炎のコンサルタント」とも呼ばれた同氏はなぜ日本の多くの経営者に支持されたのか。そしてコロナショックの今、再び注目されている理由は――。

 今回は、対談を通して「(ピーター・)ドラッカーと一倉定の共通点」について考える。1人は、一倉氏の哲学を自らの骨格とし、中小企業に経営指導と会計指導を両輪展開する公認会計士の古田圡満氏。もう1人は、ドラッカー研究の第一人者として知られ、ドラッカー理論を経営に落とし込む実践サポートに力を入れる、公認会計士の佐藤等氏。

 ドラッカー氏と一倉定氏を愛してやまない2人の公認会計士が議論した。

(聞き手・日経トップリーダー編集長 北方雅人)

新型コロナウイルスの感染拡大で、中小企業は試練を迎えています。一倉定氏やピーター・ドラッカー氏から今、何を学ぶべきでしょうか。

佐藤:一倉さんとドラッカーが言っていることは共通点が多い。1965年発行の『マネジメントへの挑戦』など一倉さんの初期の書物では、ドラッカーの理論を下敷きにしたものが散見されます。しかし、代表作の『社長学シリーズ』(日本経営合理化協会)では出てこない。ドラッカーの考えを自身の中で咀嚼して、自身の理論として体系化したのだと思います。

 ただ、社会生態学者であるドラッカーは、一倉さんのスタートラインとは別だった気がします。ドラッカーは社会全体における企業のあり方から出発した。一倉さんは個々の企業経営の分析から出発しています。それが最終的に原理的な一致点を見るのです。

古田圡:原理というのは、まず経営理念や経営方針がありき、ということですね。一倉さんは経営方針の上に計画を立てよと口酸っぱく言いました。多くの会計士や税理士は理念や方針が抜けたまま企業に事業計画を作らせる。それでは「仏作って魂入れず」です。方針を実現するために数字があるのに、方針もなく数字を作っているのが実態だという一倉さんの指摘に、私は昔、衝撃を受けました。

佐藤:ドラッカーもアプローチは同じです。ドラッカーには「5つの質問」というものがあり、筆頭は「我々のミッションは何か」。5番目に「我々の計画は何か」が出てきます。この順序が大事なのですね。数値計画だけでは無意味というか、無価値です。

<span class="fontBold">古田圡満(こだと・みつる)氏</span><br> 1952年生まれ。83年、東京都江戸川区で古田土公認会計士税理士事務所(現古田土会計)を開業。「古田土式・経営計画書」を武器に、経営指導と会計指導を両展開。約2300社の中小企業を顧客に抱える。一倉定氏を私淑する。『<a href="https://amzn.to/3gPiShA" target="_blank" class="textColRed">熱血会計士が教える 会社を潰す社長の財務!勘違い</a>』など著書多数(写真:鈴木愛子)
古田圡満(こだと・みつる)氏
1952年生まれ。83年、東京都江戸川区で古田土公認会計士税理士事務所(現古田土会計)を開業。「古田土式・経営計画書」を武器に、経営指導と会計指導を両展開。約2300社の中小企業を顧客に抱える。一倉定氏を私淑する。『熱血会計士が教える 会社を潰す社長の財務!勘違い』など著書多数(写真:鈴木愛子)

理念や方針が最初にあるというのは今の時代では当たり前ですが、当時は新しかった。

古田圡:今も当たり前ではないですよ。そういう話を聞いたことはあっても、実際の経営では理念や方針はほったらかしにしている。私が「あなたは何のために経営しているのですか」と尋ねても、答えられる社長はほとんどいない。

佐藤:ドラッカーは、1954年に米国で発行した『現代の経営』で「我々の事業は何か」という問いを初めて発しました。当時の人たちは経営を部分部分で見ており、社会生態学の観点からすると、それらを統合する上位の概念が必要だと考えたのでしょう。

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