なぜ、社員をほめることに罪悪感を覚えたのでしょうか。

青野:自分自身を振り返って、「ほめる」というのは、やはり、どこか相手を「操作しよう」という気持ちがあって、その中から出てくる行為なのです。単純に、自分の感想を伝えるのではなく、相手を「自分の枠に入れよう」という下心が働いている。そういう意味での「ほめ言葉」はいけないと感じながら、いまだに使ってしまっているときがある。

 このようなほめ言葉を手放さなくては、自分は次のステージに進めない。そう、あらためて思いました。

岸見先生は新刊で、世のリーダーたちに「ほめるのをやめよう」と、提言しています。

岸見:本には詳しく書きましたが、私が提唱するのは、一言で言えば「民主的なリーダーシップ」です。リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのでなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。

 そのようなリーダーにとって、叱ることも、ほめることもまったく必要ありませんし、むしろ有害です。

 このような私の主張のうち、「叱るのをやめる」ことについては、社会が受け入れるかどうかという意味で、機が熟してきているように感じます。

 「叱る」のと「怒る」のは違うという考え方を、私は否定しますが(興味のある方は、『ほめるのをやめよう』の第3部、169~182ページをご参照ください)、パワハラが問題とされる今、昔のように「部下は叱りつけて指導すればいい」などと、無邪気に主張する人は、さすがに少なくなりました。

 一方で、若い社員を育てるにあたって、「やっぱり、ほめて伸ばさなくてはいけないだろう」と考える方は、多いと思います。

 けれど、果たして、リーダーがほめたら、ほめられた相手は喜ぶのか。あるいは、もっと仕事をしようという気持ちになるのか、ということについて、リーダーは一度、立ち止まって考えないといけないと思います。そういうプロセスを飛ばしてしまって、「ほめておけばいいだろう」と、独善的にやってしまうと、そのようなやり方を変えるのも難しくなってしまいます。

「ほめる=ばかにする」?

それで思い出す場面があります。

 私が聴講した、岸見先生のある講演会で、やはり「ほめるのをやめる」ことについてのお話があり、質問も多く出ました。その講演会の参加者には、年配の経営者が多かったのですが、若い大学生も1人いて、その方に岸見先生が、こう問いかけたのです。

 「自分でもたいしたことをしていないと思っている仕事について、ほめられた経験がありませんか」と。それに対して、大学生は「ある」と答えました。アルバイトの話だったと思います。

 そこで、岸見先生が「そのとき、どう感じましたか」と尋ねると、「ばかにされたと思いました」と、あっけないほど迷いなく、即答されたのです。

 そんな若者の答えに、周囲にいた年配の方々は驚き、どよめいていました。

岸見:賢明な若者たちは、見抜いているのです。

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