『嫌われる勇気』の著者である、哲学者の岸見一郎氏。リーダーシップを初めて論じた新刊『ほめるのをやめよう ― リーダーシップの誤解』では、下記のような、旧来の「部下指導の常識」をすべて否定する。
□ 強いリーダーは、カリスマがあり、部下をぐいぐい引っ張る
□ ほめて育てないと部下は伸びない
□ 部下を指導するためには、ときに叱ることも必要だ
そんな常識に反する岸見流のリーダーシップ論を、現役経営者との対話から深める本シリーズ。初回の相手は、多様性と柔軟性ある人事制度で知られ、「働きがいのある会社」として定評ある*、サイボウズの青野慶久社長だ。
青野社長が、社員をほめるときに覚える「罪悪感」。そこから浮かび上がる、上司と部下の人間関係の課題とは?
* 例えば、Great Place to WorkⓇInstitute Japanが日本で実施した『2020年版 日本における「働きがいのある会社」ランキング 中規模部門(従業員100-999人)』において2位。7年連続でランクインしている。
青野慶久(あおの・よしひさ)
1971年生まれ。愛媛県出身。大阪大学工学部卒業後、松下電工(現パナソニック)を経て、97年、愛媛県松山市で、グループウエアの開発、販売を手がけるサイボウズを設立。2005年、社長就任。社内のワークスタイル変革を推進するとともに3度の育児休暇を取得。クラウド化の推進で事業を成長させ、19年12月期の売上高は前期比18.7%増の134億1700万円。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)、『「わがまま」がチームを強くする。』(監修、朝日新聞出版)など。
岸見 一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)、『生きづらさからの脱却』(筑摩書房)、『幸福の哲学』『人生は苦である、でも死んではいけない』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『老後に備えない生き方』(KADOKAWA)。訳書に、アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数。
青野:岸見先生、ご無沙汰しています。
岸見:今日はZoomでお話ししますが、お目にかかるのは3年ぶりですね。
青野:あのときは、京都から東京オフィスまで来ていただきました。社員の1人から、「『嫌われる勇気』に書かれている内容は、サイボウズのこれまでの取り組みと似ているのではないか」という声が上がったのをきっかけに。社員たちと一緒に、いろいろなご相談もしましたね。私も経営者として、1人の人間として、悩みを抱えながら生きていますから。そのときにお話しした内容は、こちらの記事にまとめてあります。
岸見:あのとき会社を訪問して、驚きました。自分が理想と考える「民主的な組織」が、青野さんの会社で、すでに実現されていることを心強く感じましたし、社員の皆さんが、地に足の着いた考え方──理論的というより、具体的なものの考え方──をされていることに、感銘を受けました。
そんな青野社長と岸見先生が、今日はリーダーシップについて語り合います。青野社長には、岸見先生の新刊『ほめるのをやめよう』を、あらかじめ読んでいただきました。お忙しい中、ありがとうございます。
青野:『ほめるのをやめよう』とは、挑戦的なタイトルですよね。
「叱る/ほめる」というのは、昭和型のリーダーシップの象徴で、私たちはそこから新しいマネジメントスタイルに移行しなければならないと考えています。
けれど、じゃあ、「叱る/ほめる」に変わる、新しいマネジメントスタイルとは一体、何なのか、というと、明確な答えを提示できる人はほとんどいません。
そこにはっきりと言語化された答えを示しているという点で、今回の岸見先生の本は、時代が求める1冊だと感じました。
社員をほめていることを反省します
そういう青野社長は、社員の皆さんを、ほめていないのでしょうか。
青野:いや、そこを突かれると(苦笑)。ほめちゃっているところがありますね。
岸見:そうなのですか。
青野:本を読んで、反省しました。
そもそも「社員をほめるのは悪いことだ」という意識が、青野社長にあったのでしょうか。
青野:それはありました。
なぜ、社員をほめることに罪悪感を覚えたのでしょうか。
青野:自分自身を振り返って、「ほめる」というのは、やはり、どこか相手を「操作しよう」という気持ちがあって、その中から出てくる行為なのです。単純に、自分の感想を伝えるのではなく、相手を「自分の枠に入れよう」という下心が働いている。そういう意味での「ほめ言葉」はいけないと感じながら、いまだに使ってしまっているときがある。
このようなほめ言葉を手放さなくては、自分は次のステージに進めない。そう、あらためて思いました。
岸見先生は新刊で、世のリーダーたちに「ほめるのをやめよう」と、提言しています。
岸見:本には詳しく書きましたが、私が提唱するのは、一言で言えば「民主的なリーダーシップ」です。リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのでなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。
そのようなリーダーにとって、叱ることも、ほめることもまったく必要ありませんし、むしろ有害です。
このような私の主張のうち、「叱るのをやめる」ことについては、社会が受け入れるかどうかという意味で、機が熟してきているように感じます。
「叱る」のと「怒る」のは違うという考え方を、私は否定しますが(興味のある方は、『ほめるのをやめよう』の第3部、169~182ページをご参照ください)、パワハラが問題とされる今、昔のように「部下は叱りつけて指導すればいい」などと、無邪気に主張する人は、さすがに少なくなりました。
一方で、若い社員を育てるにあたって、「やっぱり、ほめて伸ばさなくてはいけないだろう」と考える方は、多いと思います。
けれど、果たして、リーダーがほめたら、ほめられた相手は喜ぶのか。あるいは、もっと仕事をしようという気持ちになるのか、ということについて、リーダーは一度、立ち止まって考えないといけないと思います。そういうプロセスを飛ばしてしまって、「ほめておけばいいだろう」と、独善的にやってしまうと、そのようなやり方を変えるのも難しくなってしまいます。
「ほめる=ばかにする」?
それで思い出す場面があります。
私が聴講した、岸見先生のある講演会で、やはり「ほめるのをやめる」ことについてのお話があり、質問も多く出ました。その講演会の参加者には、年配の経営者が多かったのですが、若い大学生も1人いて、その方に岸見先生が、こう問いかけたのです。
「自分でもたいしたことをしていないと思っている仕事について、ほめられた経験がありませんか」と。それに対して、大学生は「ある」と答えました。アルバイトの話だったと思います。
そこで、岸見先生が「そのとき、どう感じましたか」と尋ねると、「ばかにされたと思いました」と、あっけないほど迷いなく、即答されたのです。
そんな若者の答えに、周囲にいた年配の方々は驚き、どよめいていました。
岸見:賢明な若者たちは、見抜いているのです。
岸見:ただ、同じ言葉でも、発した側がどういう意味で使っているのかによって、ほめ言葉になることもあれば、ならないこともあります。
私の娘は、子育てを始めてから、私が書いた本を読み、子どもをほめないように心掛けているようです。ところが、1歳の子どもが初めて立ち上がったとき、思わず「すごいね」と言ってしまった。それで、「これは、ほめ言葉ではないのか」と、娘から質問を受けました。
そのほめ言葉に、下心はないか?
岸見:それに対しては、 「下心があれば、ほめ言葉かもしれないけれど、『初めて立ち上がった』という喜びを子どもと共有する言葉であれば、それは、ほめ言葉にはならない」と答えました。
また、同じ言葉でも、相手がどう受け止めるかにもよります。だから、本当のところは、自分が発した言葉を、相手がどう感じたかを尋ね、フィードバックを受けなければ、分かりません。
初めて立ち上がった1歳の子どもから、フィードバックを受けるのは現実には難しいですが、言葉が分かるようになれば、「今、私はあなたに『すごいね』と言ったけれど、その言葉を、どう受け止めましたか?」と尋ねたい。あるいは、「どういう言葉をかけるのがいいと思いますか?」と尋ねたい。そういうことを尋ねていけば、両者の関係は、おのずと変わっていきます。もちろん部下には、このように尋ねてください。
「『すごいね』は、ほめ言葉だから使ってはいけない」というふうに、しゃくし定規に覚えないことが大事です。
一人ひとり、受け止め方が違うので、全員に尋ねなければなりません。「今の私の言葉を、あなたはどう受け止めましたか?」と。経営者であれば、社員全員に問いかけ、確認していかなければなりません。こんなことを言うと、「家族だったらできるかもしれないけれど、会社のような組織ではとても無理だ」と反論されますが、原理原則は、どんな対人関係でも同じなのです。
「尋ねる」という、リーダーシップの基本動作
青野:いや、私の個人的な体験からいうと、「一人ひとりに尋ねる」というのは、極めて実践的な手法です。リーダーシップの「基本動作」として、とても重要だと思います。
私は2006年まで、今とは全然違うリーダーシップを志向していました。私から指示を出し、社員のみんなをぐいぐい引っ張っていこうとしていました。けれど、残念ながら、それがうまくいかず、業績は悪化し、株価は大きく下がり、何より社員の心がどんどん離れて離職率がなんと28%という、どん底を経験しました。信号待ちの車をぼんやり見ながら、「1台、こっちに走ってきて、自分のことをはねてくれないかな」と、思ったこともあったくらい、追い詰められました。
そこを脱する過程で、リーダーシップのスタイルをがらりと変えて、今に至ります。会社は成長を始め、多様で柔軟な働き方ができる会社として評価されることも増えました。その間のことを振り返ると、私には「社員に助けてもらった」という感覚が非常に強いのですが、自分自身がリーダーとして何より心掛けてきたのは、「尋ねる」ということです。
青野:サイボウズには今、多様な働き方を可能にする人事制度が多くあります(詳しくは、こちらを、ご参照ください)。しかし、この中に、私が発案したものは、1つもありません。リーダーシップのあり方を変えてから、社員のみんなに「働きたい働き方ができなかったら、教えてください」「教えてくれたら、それが実現する仕組みを一緒につくっていきます」とお願いして、これらの制度をつくってきたのです。つまり「尋ねる」という姿勢に変えた。
そこは大きな違いで、尋ねてつくるのでなければ、どんな制度をつくったところで、「青野さんったら、また思いつきで役に立たない人事制度をつくっちゃって」という話になる。
だからやっぱり、リーダーの基本動作として「尋ねる」というのは、重要です。
「操作したい気持ち」があると、ろくなことはない
そういうリーダーシップの変化の中で、青野社長の中にいつしか、「社員をほめるのはよくない」という意識が芽生えた、ということでしょうか。
青野:そうですね。ほめるのはよくない……。
私が、マネジメントのスタイルを変えたときの大きな学びは、「自分の考え方を押しつけると、ろくなことがない」でした。自分が大失敗して、自分の不完全さを思い知ったので、そんな自分が誰かを「操作しよう」という気持ちからやることに、ろくなことはないぞ、と。
だから、何か「操作しよう」という気持ちが働いている言葉であれば、それはよくない。そんな気持ちが働く言葉として、ほめ言葉はよろしくない。そのように理性が働くようになったのだと思います。
だからといって、そのような習性が抜けきったかというと、はなはだ怪しいのですが。
さらに、今回、岸見先生に教えていただいた「相手がどう受け止めているか」というところには多分まだ意識がいっていないので、次の課題になるでしょう。
岸見:今のお話をうかがって申し上げたいのは、「対等の関係を築けていなければ、あらゆる技法は無効である」ということです。
私の主張するような「ほめない」「叱らない」、さらには「部下を勇気づける」といったリーダーシップの手法について、「その通りだ」と納得し、実践いただいたとしても、相手との関係が対等でなければ、すべて操作であり、支配なのです。
逆にいうと、相手との間に対等の関係を築けていれば、何を言っても大丈夫なのです。
青野:なるほど。
岸見:ただ、そこに到達するには、やはり時間がかかります。最初は、気をつけたほうがいいです。「こういう言葉を使うと、相手を傷つけるのではないか」ということを、過剰に気をつけるくらいでちょうどいいと思います。
それがやがて、相手との関係が本当に対等になって、信頼関係ができたなら、周囲で聞いている人が「あんな言い方はないよな」と思うような言い方をしたとしても、部下の勇気をくじくことにはなりません。
親子も「この子には、何を言っても大丈夫だ」と思えるような関係になれば素敵です。でも、最初は「親しき仲にも礼儀あり」。丁寧な言葉使いを心掛けたほうがいいでしょう。
ここは、難しいところです。
アドラー心理学を誤用される方がよくいて、ここのところをよく分かっておられないままに「あ、アドラー。これは使える」という発想をされる。
「嫌われる勇気」が、悪用されている
青野:悪用しちゃう感じでしょうか。
岸見:そうです。けれど、やはり、賢明な若者は見抜いています。
青野:実は、『ほめるのをやめよう』を読んで、個人的にとても面白かったのが、「嫌われる勇気」に対する誤解のくだりです。これも、悪用と言っていいかもしれない。
この続きは次回。以前にも取り上げた「嫌われる勇気」の誤解について議論を深めます。青野社長が、自分自身の体験から痛感する、リーダーに求められる「嫌われないようにする勇気」とは、何か。
上司であることに自信がないあなただから、
よきリーダーになれる。そのために―
◎ 叱るのをやめよう
◎ ほめるのをやめよう
◎ 部下を勇気づけよう
『嫌われる勇気』の岸見一郎が放つ、脱カリスマのリーダーシップ論
ほぼ日社長・糸井重里氏、推薦。
「リーダー論でおちこみたくなかった。
おちこむ必要はなかったようだ」
●本文より―
◎ リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのではなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。
◎ リーダーシップはリーダーと部下との対人関係として成立するのですから、天才であったりカリスマであったりすることは必要ではなく、むしろ民主的なリーダーシップには妨げになるといっていいくらいです。
◎ 率直に言って、民主的なリーダーになるためには時間と手間暇がかかります。しかし、努力は必ず報われます。
◎ 「悪い」リーダーは存在しません。部下との対人関係をどう築けばいいか知らない「下手な」リーダーがいるだけです。
◎ 自分は果たしてリーダーとして適格なのか、よきリーダーであるためにはどうすればいいかを考え抜くことが必要なのです。
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