社長を怒鳴り散らすような情熱的な指導で知られた経営コンサルタントの故・一倉定(いちくら・さだむ)氏。1918年生まれで1999年に80歳で亡くなるまでに、大中小1万社以上の企業を指導したとされる。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏をはじめ、一倉氏の思想を学んできた名経営者は多い。

 一倉氏は、「社長が変われば、会社は変わる」と主張し、社長に焦点を当てて企業を指導してきたことから「社長の教祖」とも呼ばれている。「鬼」「炎のコンサルタント」とも呼ばれた同氏はなぜ日本の多くの経営者に支持されたのか。なぜ21世紀になっても、ファンが多いのか。今回の記事では一倉氏の次男、一倉健二氏へのインタビューで、知られざる実像を掘り下げる。

業績を上げやすいからか、黒字会社を選んで指導する経営コンサルタントも世の中にはいるようですが、一倉定さんは赤字会社を積極的に引き受けました。一倉さんを駆り立てたものは何だったのですか。

一倉健二氏(以下、健二氏):家に電話がかかってきて「先生、うちの赤字を何とかしてください」と言われると、父はじっとしていられない。休みは暮れと正月くらい。自分の身を削ってコンサルティングをしていました。なんでそこまでできるのか。父はしょっちゅう転職していました。子供の頃、学校から配られる家庭調査票に父親の勤務先を記入する欄があったのですが、毎年コロコロ変わる。半年たたずに辞めた会社もあるはずです。中には、潰れてしまった会社もいくつかあった。そういう体験の中で、会社を潰したらどうなるかも知っていて、絶対潰してはいけないという強い気持ちが培われたのかもしれません。

軍隊の副隊長と隊長の意識の違いを身をもって知ったことが、一倉定氏の社長学の出発点になったという
軍隊の副隊長と隊長の意識の違いを身をもって知ったことが、一倉定氏の社長学の出発点になったという

そんな一倉さんの指導は、社長の姿勢を正すところから入るのが常でした。社長で会社のすべてが決まると考えていた。その背景はご存じですか。

健二氏:組織の中では専務や常務が、よく社長批判をしますよね。でも、それは意識の問題なんですよ。父から聞いた話ですが、父は戦時中、200人以上の部隊の副隊長をしていました。普段は隊長の批判ばかりしていたそうですが、ある日、隊長が任務で一時的に隊から離れたので、父が隊長の代わりを務めることになった。そのとき初めて、隊長のなんたるかが分かったそうです。例えば野営をしていて、夜中に遠くで小さな発砲音が聞こえると、飛び起きた。今まではそこまで気持ちは張り詰めていなかったから、自分でもびっくりしたとか。なるほど、隊長というのはこういう意識で隊を率いているのだと自覚して、それ以来は、隊長の批判は一切しなくなったそうです。つまり、会社を引っ張る社長というのは特別な存在なのだという意識が、父にはあった。

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