鈴木:汚れた空気が感染症の原因であるとする「環境説」の仮説が、間違っていたのかというと、完全には間違っていないというところもあるのかな、と思うのです。そして、当時の人たちにとって、その因果関係はすごく説得力があったのでしょう。「確かに、空気が汚れているところで流行する傾向が、一部見られるよね」と言えるだけの事象は、確かにあったわけですから。

 ということは、因果関係は完璧でないとしても、相関関係は相当に高い仮説に基づいて、都市改造という解決策は選択されていた。そして、その解決策を一部で実際に導入してみたところ、確かに感染が減ったよね、という経験が得られた。こうして実証された解決策が受け入れられ継続された、ということだと思います。

 当時の人たちもやはり、正しい因果を求めようとしていた。その活動の中で浮かび上がった最も有力そうな仮説が、完全に正確ではないとしても、ある程度、検証され、実証されて、導入されていった。

それで事実、感染症の流行が防げたわけです。

血清療法の報告を、どう読み解くか?

鈴木:例えば、今回の新型コロナウイルス感染症についても今、因果が明確ではない解決策を見つけるため、どんどんトライがなされています。

 例えば、血清療法。新型コロナウイルス感染症に罹患して治った人の血液から採取した血清をとり、罹患している人の体に入れる。この治療法を新型コロナウイルス感染症に応用することには、期待できる部分はありますが、統計学的にきちんと効くのかは分かっていません。

 けれど、この状況下で「実際にやってみたら、患者さんの容体が良くなりましたよ」という話が海外から流れてきたりします。ただ、本当に血清が効いて良くなったのか、別に血清を入れなくても、どのみち自然治癒で回復したということなのか。これらの事例では正直、因果関係を明確にするには十分とはいえないと考えられます。

 1回目のトライというのは、そういうもので、常に分からないところから始まります。

 ただ、トライするとなれば、コストもかかりますし、リスクもあります。トライする患者さんは体内に他人の血清を入れるのですから、また別の感染リスクを負います。だから、もしかしたら「藁(わら)にもすがりたい」だとか「お金をもらえるならやるよ」という話だったのかもしれない。

 そういうリスクやコストを、誰かしらが許容して「やろう」となるのは、パンデミックという事態だからなのかもしれません。

 こういうトライが、例えば100例くらい集まって、血清治療をした人としていない人の間で、回復の早さに有意な差が見られるなら、有効である可能性をより明確に判断できるようになります。

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