鈴木:しかし、感染症を防ぎ、死亡率を下げる方法には、いろいろなアプローチがあります。やり方によっては、格差の問題も解消していけるのではないでしょうか。

 ここで考えるべきは、役割分担です。

 新型コロナウイルス感染症対策として考えられるさまざまな打ち手のうち、因果関係が明らかなことに対しては、国からの予算が下りたり、政策的な対応が実施されたりしやすいものです。

 では、自分たちのようなベンチャーでなければできないことは何かと考えると、因果関係が不明確であっても、健康を意識する行動を提案することだと思います。そのような提案の結果、実際に健康を意識したアクションをとる人が増えれば、医療が救える人数と同程度か、あるいはそれ以上の人たちを疾病に至らない状態に持っていくことができる可能性がある、と思っています。

 そういうフェーズにおいて、自分たちが社会実装しようとしているユーグレナ(和名:ミドリムシ)の研究が、人や社会、自然に対して、どうポジティブに働くかを、より正確に理解しておきたいと考えています。主観的になりすぎず、なるべく客観的に、です。その結果、提案できる内容が増える。そこを目指した免疫に関連した研究開発等は絶え間なくやっていますし、これまでの研究開発の結果や情報収集した内容に基づいて新しい商品を設計し、世の中に提供していきます。

19世紀コレラ流行における「環境説」VS「接触説」

「因果関係」という意味で、印象に残っているのは、19世紀ヨーロッパのコレラ感染爆発の後に進んだ、都市改造です。正しくない因果関係の理解によって、結果的に効果的な政策が実行された、というエピソードです。

鈴木:あの話は、因果関係に対する理解は正確に合っていなかったとしても、相関関係のあるアクションが選択されて、実効性の高い解決策が実施された、という事例だと思います。

鈴木さんの意見をうかがう前に、コレラと都市改造の話を補足しますね。

 19世紀のヨーロッパでは、感染症の原因について、2つの説がありました。

 1つは、動物の死体や植物の堆肥から有害な気体物質である「ミアズマ(瘴気)」が発生し、それを周囲の人間が吸入することによって発症に至るという「環境説」。もう1つは、人と人とが接触する際に、微細で毒素を出す感染因子が伝染して発症に至るという「接触説」。

 コレラは細菌によって感染するので、結果として正しかったのは「接触説」ですが、当時は「環境説」が優位に立っていました。なぜなら、コレラは、病原体に汚染された水から経口摂取で感染するため、非常に限定された範囲で局地的に流行することが多かったからです。

「環境説」に基づくと、コレラを防ぐには、空気をきれいにしなければなりません。そこで、都市スラムを一掃する「スラム・クリアランス」が行われ、上下水道などの都市インフラストラクチャーを整備する「都市改造」が各地で行われました。これが結果オーライで、コレラ菌のまん延を防ぐことになった、というわけです。

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