新型コロナの「治癒1年後」を、まだ誰も知らない
「世界史のなかの感染症」に、何を学ぶか?【第1回】
感染症は、人間の生きる世界をいかに変えてきたのか?
歴史学者である、東北大学大学院経済学研究科の小田中直樹教授が、この問いに答えるのが、新刊『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたのか』だ。ポストコロナを予測する材料を世界史のなかに探し、分かりやすく整理して読者に提供することを目指した。
願わくば、この本を起点に、読者に「その先」を探求してもらいたい――。そんな思いから、第一読者となっていただいたのが、研究開発型バイオベンチャー・ユーグレナ社の創業メンバーである鈴木健吾さん。
感染症の歴史をたどるには、サイエンスの素養も求められる。医学と農学の両博士号を持つ鈴木さんに、科学者の視点から感染症の歴史を振り返ってもらった。
本題に入る前に、鈴木さんとは、どんな人なのか。
ユーグレナ社の出雲充社長とは、東京大学農学部の同窓生。学生時代、2人で出場した「大学生投資コンテスト」で圧勝。その際、ブラック・ショールズ理論を瞬時に理解して運用に活用し、「本物の天才がいた!」と、出雲社長を驚愕(きょうがく)させたエピソードで知られる。
その後、研究者として「サイエンスを社会実装する」ことを目指し、出雲社長と起業する道を選んだ。現在は、研究開発担当の執行役員として、経営に携わる傍ら、マレーシア工科大学の客員教授などを歴任し、グローバルに活躍する。
そんな理系の“天才”にして、経営の最前線に立つ鈴木さんが、「感染症の歴史」を振り返ると、どんな未来が見えてくるのか。
今回、感染症史の本を読んでいただきましたが、ご感想は?
鈴木:やはり新型コロナウイルス感染症と切り離して読むことはできませんよね。なので、新型コロナウイルス感染症に対する、私の雑感から始めてもいいでしょうか。
はい、もちろん。
鈴木:人間は未知のものには、恐怖を感じます。だから感染拡大が始まって間もない2月から3月、4月の上旬にかけては特に、誰もが深い不安に陥ったと思いますし、私自身、大きな恐怖を抱きました。
では今、新型コロナウイルス感染症がどれくらい恐れるべきものなのかといえば、過剰に恐れてもいけないし、まったく恐れないということでもいけない。その意味で、ワクチンを開発するような研究者だけでなく、広く一般の人たちが、感染症のリテラシーを共有し、リテラシーを向上させる、ということが、重要になってくるのではないでしょうか。
今、多くの人の頭のなかには「第2波が来るのではないか、今まさに来ているのではないか」という認識があるかもしれません。
新型コロナに「後遺症」はないのか?
鈴木 健吾(すずき・けんご)
1979年生まれ。東京大学農学部生物システム工学専修卒、2005年8月、出雲充氏(現ユーグレナ社長)、福本拓元氏(現ユーグレナ執行役員・ヘルスケアカンパニー営業部担当)とともにユーグレナ創業、取締役研究開発部長就任。同年12月、世界初の微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の食用屋外大量培養に成功。06年東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了。16年東京大学大学院農学博士学位取得。19年北里大学大学院医学博士学位取得。現在、ユーグレナ社研究開発担当の執行役員として、微細藻類ユーグレナおよびその他藻類のヘルスケア部門における利用に関する研究に携わる傍ら、ユーグレナ由来のバイオ燃料製造開発に向けた研究に挑む。19年よりマレーシア工科大学マレーシア日本国際工科院客員教授、東北大学・未来型医療創造卓越大学院プログラム特任教授を兼任。
ただ、ほかにも注視すべきことはあって、例えば、すでに罹患(りかん)した方の「体内への残留」であるとか、「後遺症」みたいな部分です。なにしろ、罹患されてから1年以上たったと認識されている人、というのは、まだこの世の中に存在しないわけです。
例えば、菌が喉を通って体に入ることである病気にかかり、肺に症状が出て、肺が陰ったとします。しかし、やがて、その陰りはなくなり、喉にあった菌も少なくなったとしましょう。しかし、このとき、消化器官などに菌や症状が残っている可能性もあります。もっといえば、消化器官の感染のほうが、肺の感染より長く残ってしまう、であるとか。
私としては、このあたりはしっかり見ていきたいと考えています。
なるほど、罹患者の予後ですか。まったく思いつきませんでした。
鈴木:小田中先生が本の中で、マスクの効用について書かれていましたね。
マスクは、新型コロナウイルス感染症を「うつす」ことの予防にはなるが、「うつされる」ことを防ぐのには役に立たないではないか、と。
鈴木:そう考えると、マスクには、物理的に「意味があるか、ないか」だけでなく、社会的な意味がある。小田中先生のこの指摘は、正しいと思います。マスクをつけることで、「私は、ほかの人にうつしたくないですよ」「ほかの人からうつされたくないですよ」と意思表示する。そういうシグナルとして機能していると書かれていました。私も、そういう意味合いでマスクをつけているところがあります。
そんなマスクの社会的な側面については賛否があるかもしれませんが、公衆衛生にポジティブに働くのであれば、結果的に「いいこと」ではないかと、私は思っています。マスクをしている人が多い環境では、衛生意識があまり高くない人も、公衆衛生に配慮した行動をとりやすいのではないかと。
感染症は格差を可視化する
ユーグレナ社は、バングラデシュと関わりながらビジネスをしていますよね。発展途上国における新型コロナウイルス感染症の感染状況や対策について、何か情報をお持ちではないでしょうか。
鈴木:情報というより、具体的なアクションとして、健康食品をはじめ、健康の維持や増進に活用できる可能性のある自分たちのプロダクト(製品)を送るといったことを、まずやりました。渦中にあっては、現場に負担をかけるような情報収集は難しいので、もう少し落ち着いてからと考えています。
感染症の歴史を振り返ると、感染爆発(パンデミック)は、格差を広げたり、格差をより明確にしたりする方向に働くことが多かったように感じます。
本には多くの事例が挙がっていますが、有名なところでは、14世紀のヨーロッパにおけるペスト感染爆発。領主より農奴の死亡率が高く、人口動態に変化をもたらした。それが、ひいては両者の力関係を変えるのですが、初期においては格差を広げたといえるでしょう。19世紀のヨーロッパで起きたコレラ感染爆発も、被害は都市スラムに集中しました。
新型コロナウイルス感染症にも、格差を可視化する未来が、待っているのでしょうか。
鈴木:確かに、そういう側面はあるのかもしれません。
ユーグレナ社は、バングラデシュの子どもたちにユーグレナ(和名:ミドリムシ)入りのクッキーを無償配布する活動をしている。ユーグレナに含まれる豊富な栄養素と、それらを毎日摂取する目的も伝えている
鈴木:しかし、感染症を防ぎ、死亡率を下げる方法には、いろいろなアプローチがあります。やり方によっては、格差の問題も解消していけるのではないでしょうか。
ここで考えるべきは、役割分担です。
新型コロナウイルス感染症対策として考えられるさまざまな打ち手のうち、因果関係が明らかなことに対しては、国からの予算が下りたり、政策的な対応が実施されたりしやすいものです。
では、自分たちのようなベンチャーでなければできないことは何かと考えると、因果関係が不明確であっても、健康を意識する行動を提案することだと思います。そのような提案の結果、実際に健康を意識したアクションをとる人が増えれば、医療が救える人数と同程度か、あるいはそれ以上の人たちを疾病に至らない状態に持っていくことができる可能性がある、と思っています。
そういうフェーズにおいて、自分たちが社会実装しようとしているユーグレナ(和名:ミドリムシ)の研究が、人や社会、自然に対して、どうポジティブに働くかを、より正確に理解しておきたいと考えています。主観的になりすぎず、なるべく客観的に、です。その結果、提案できる内容が増える。そこを目指した免疫に関連した研究開発等は絶え間なくやっていますし、これまでの研究開発の結果や情報収集した内容に基づいて新しい商品を設計し、世の中に提供していきます。
19世紀コレラ流行における「環境説」VS「接触説」
「因果関係」という意味で、印象に残っているのは、19世紀ヨーロッパのコレラ感染爆発の後に進んだ、都市改造です。正しくない因果関係の理解によって、結果的に効果的な政策が実行された、というエピソードです。
鈴木:あの話は、因果関係に対する理解は正確に合っていなかったとしても、相関関係のあるアクションが選択されて、実効性の高い解決策が実施された、という事例だと思います。
鈴木さんの意見をうかがう前に、コレラと都市改造の話を補足しますね。
19世紀のヨーロッパでは、感染症の原因について、2つの説がありました。
1つは、動物の死体や植物の堆肥から有害な気体物質である「ミアズマ(瘴気)」が発生し、それを周囲の人間が吸入することによって発症に至るという「環境説」。もう1つは、人と人とが接触する際に、微細で毒素を出す感染因子が伝染して発症に至るという「接触説」。
コレラは細菌によって感染するので、結果として正しかったのは「接触説」ですが、当時は「環境説」が優位に立っていました。なぜなら、コレラは、病原体に汚染された水から経口摂取で感染するため、非常に限定された範囲で局地的に流行することが多かったからです。
「環境説」に基づくと、コレラを防ぐには、空気をきれいにしなければなりません。そこで、都市スラムを一掃する「スラム・クリアランス」が行われ、上下水道などの都市インフラストラクチャーを整備する「都市改造」が各地で行われました。これが結果オーライで、コレラ菌のまん延を防ぐことになった、というわけです。
鈴木:汚れた空気が感染症の原因であるとする「環境説」の仮説が、間違っていたのかというと、完全には間違っていないというところもあるのかな、と思うのです。そして、当時の人たちにとって、その因果関係はすごく説得力があったのでしょう。「確かに、空気が汚れているところで流行する傾向が、一部見られるよね」と言えるだけの事象は、確かにあったわけですから。
ということは、因果関係は完璧でないとしても、相関関係は相当に高い仮説に基づいて、都市改造という解決策は選択されていた。そして、その解決策を一部で実際に導入してみたところ、確かに感染が減ったよね、という経験が得られた。こうして実証された解決策が受け入れられ継続された、ということだと思います。
当時の人たちもやはり、正しい因果を求めようとしていた。その活動の中で浮かび上がった最も有力そうな仮説が、完全に正確ではないとしても、ある程度、検証され、実証されて、導入されていった。
それで事実、感染症の流行が防げたわけです。
血清療法の報告を、どう読み解くか?
鈴木:例えば、今回の新型コロナウイルス感染症についても今、因果が明確ではない解決策を見つけるため、どんどんトライがなされています。
例えば、血清療法。新型コロナウイルス感染症に罹患して治った人の血液から採取した血清をとり、罹患している人の体に入れる。この治療法を新型コロナウイルス感染症に応用することには、期待できる部分はありますが、統計学的にきちんと効くのかは分かっていません。
けれど、この状況下で「実際にやってみたら、患者さんの容体が良くなりましたよ」という話が海外から流れてきたりします。ただ、本当に血清が効いて良くなったのか、別に血清を入れなくても、どのみち自然治癒で回復したということなのか。これらの事例では正直、因果関係を明確にするには十分とはいえないと考えられます。
1回目のトライというのは、そういうもので、常に分からないところから始まります。
ただ、トライするとなれば、コストもかかりますし、リスクもあります。トライする患者さんは体内に他人の血清を入れるのですから、また別の感染リスクを負います。だから、もしかしたら「藁(わら)にもすがりたい」だとか「お金をもらえるならやるよ」という話だったのかもしれない。
そういうリスクやコストを、誰かしらが許容して「やろう」となるのは、パンデミックという事態だからなのかもしれません。
こういうトライが、例えば100例くらい集まって、血清治療をした人としていない人の間で、回復の早さに有意な差が見られるなら、有効である可能性をより明確に判断できるようになります。
つまり、「治った」という結果のほうが先にあって、「血清を入れたから治った」という因果関係が明確になるのはその後なのですね。だから、「正しい因果関係」が分かる前に、「有効な解決策」が出てきてしまう。
鈴木:そうですね。ただ、この場合の「因果関係」は、薬理学における「作用機序」と言い換えたほうがいいように思いますが。
大がかりな実験をする前に、予備実験で可能性を限定していくというのは、サイエンスにおいて大事なことです。1つの実験結果だけで、何かを論じることが難しかったとしても、次の実験で結果が出る可能性を高めるため、予備実験をするということはあります。
私たちは2005年に、世界初のユーグレナの食用屋外大量培養に成功しました。このときは、最初は小さな試験管で実現できたことを、最後は大きなプールで再現しました。しかし、単純に規模を大きくすれば再現できる、というものではありません。だから、小さな実験のなかで、いくつかの条件を変えてみて、規模を大きくしたときにシビアに影響してきそうな条件と、それほどでもない条件がどれか、当たりをつけるわけです。
コロナ対応の「不完全さ」を許容しよう
血清での治療にしても、全員が1日で治ったとか、長く伏せっていた人が、いきなり飛び上がって走り始めました、なんていう劇的な変化があれば分かりやすいですが、現実にはそんなことはありません。
けれど、最初の3例で、全員の症状がまったく良くなりませんでした、ということであれば、その治療法については、優先順位を見直したりして、時間などがひっ迫している中では、わざわざ時間をかけて研究しなくていい。などと、状況に応じて判断することができるのならば、そのような結果に終わった実験にも意味はある。
そう考えると、社会全体に与えるインパクトの大きさや、求められるスピードを考えたとき、因果の不完全さというのは、許容されるべきことも多いのではないかと思います。特に、新型コロナウイルス感染症への対応については、関連する人へのインフォームドコンセントなどについて可能な限り配慮しながら、予備実験的なトライ&エラーを積極的にやっていくべきだと、私は考えています。
「歴史学の視点から見たとき、感染症は世界をいかに変えてきたのか」
この問いに歴史学者として答えることを通じて、新型コロナウイルスがぼくらの社会にもたらす変化を予測する材料を読者に提供したい。
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<主な内容>
【ペスト】地中海を海上輸送された「黒死病」は、民衆に力を与えた
【天然痘】「消えた感染症」は、医学にイノベーションをもたらした
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【新興感染症】病原体と人類の進化は続く
【COVID-19】「ポスト・コロナの時代」は来るか?
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社会経済史を専門とする歴史学者である著者が「感染症と人間社会の相互作用=人間社会の変化が感染症に影響し、感染症の変化が人間社会に影響する」 という観点から、 過去に感染爆発を起こした代表的な感染症について、体系的に概説します。
各章末には、それぞれの感染症についてより深く理解するうえで役立つ名著、良書を紹介するブックガイドを付しています。
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