小学生でも、ちゃんと勉強に目覚めて頑張れる子なら、受験競争も問題ありませんが、私の3人の子供たち全員がそうなるとは限らないと思いました。だから、地方移住して、地元の小中学校から県立高校に進学する環境を選び、教育移住をしたのです。

藻谷氏は、子供たちが中学受験の競争に巻き込まれるのを嫌い、人口が3万人弱の長野県東御市(写真)に引っ越した。成人した子供たちも、長野で育ったことを感謝しているという
藻谷氏は、子供たちが中学受験の競争に巻き込まれるのを嫌い、人口が3万人弱の長野県東御市(写真)に引っ越した。成人した子供たちも、長野で育ったことを感謝しているという

 その後、スモールビジネス型の起業がきっかけになって、昭和女子大学で客員教授も務めることになりました。女子学生たちに、スモールビジネスについて講義するために、さまざまな事例を取材しているうちに今のように、「地方で生き残るビジネス」の研究をすることになった、というわけです。

日本人の働き方はもともとジョブ型が普通だった

女子大の先生もされていたんですね。

藻谷:ええ。自分で言うのもなんですが、人気の講座になり、ほかの講座に比べると倍以上の数の学生が受講していました。講義内容に興味を持ってくれる学生も多く、ある学生は、私の授業があった日は、帰宅後、家族にその内容を話すというんです。これって、学んだことを、あとで自分の言葉にして話すという、理想的な学びの形ですよね。

 ただ、地方のスモールビジネスで成功している人の話をしても、結局は都会の大企業に就職する学生が多いのが現実です。ですが、中には大企業に就職しても、しばらくしてベンチャー企業に転職したと報告してくれる教え子もいて、多少は影響力があったと思います。

ジョブ型志向の話が途中になっていましたが、続けていただけますか。

藻谷:そうですね。

 江戸時代の身分社会の頃から、日本人の働き方はジョブ型が主流だったと思います。高度経済成長期も労働力不足だったので、労働者はより高い給料を払う会社にさっさと転職していくことが珍しくなかったようです。

 そこで良い人材を定着させたいと願う企業側から、「終身雇用と年功序列」という雇用形態が提供されるようになったといわれています。つまり、ジョブ型ではなく、一つの企業で、年功序列の待遇を得ながら定年まで勤め上げる。このワークスタイルは「メンバーシップ(職能)型」と呼ばれています。

 日興証券の新人研修で「君たちは3億円です」と言われたことを今でもよく覚えています。

 大手企業に入社した者は、そのメンバーになり、途中で抜けなければ、仕事のスキルが身に付いていき、給料は子供の教育費負担が大きいときに高額になって、総額で3億円がもらえるというワークライフが一つのパッケージになっているのです。一度、メンバーになれれば、原則的にこのパッケージが付いてくるという非常に魅力的な選択肢です。

 言い換えれば、メンバーシップ型の働き方は、高度経済成長期に編み出された特殊なものなのです。長らく魅力的な仕組みでしたが、いろいろ問題もあり、今もそうですが、そのあり方はいつも議論になってきました。

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