小林さんの父親は表具師ですが、「職人も、高度経済成長期では地方にいてももうかったが、今はそうはいかない、息子の世代は大学を出たら大企業に勤めればよい」と考えていたようです。
ところが小林さんは学生時代に、実家の表具店の仕事が少なくなったのは「地方経済や地域文化が停滞しているからだ」と気づきます。地元の地場産業や伝統工芸を再生して世界に送り出せばいいのではないかと考え、実際に今、それを実現しています。
小林さんは会社員家庭の出身ではないので、会社に就職し組織の歯車になって、組織全体で稼いだ中から報酬を受けるという志向がもともとないのかもしれません。ただ、自分のやりたい・できることを生業(なりわい)にして稼いでいくという志向を持っているのは、地方で伸びている会社の若い世代の経営者に共通する特徴で、それは「ジョブ型」と呼べるでしょう。
父親世代から続く価値観から脱出
藻谷さんは、社会人になったら大企業に勤め続けるのがよいと、刷り込まれている世代の人間だと自覚されています。しかし、それにしてはユニークな経歴をお持ちですね。
藻谷:私は、大学を卒業したあと、高度経済成長期を支えてきた会社員の父が考えていた通りに、大手証券会社、旧日興証券に入社しました。
父は、北海道にある競走馬を育てる牧場の三男でしたが、高校生のうちから東京に出て、東京の大学を卒業、会社員になりました。地方出身者で家を継がない場合、これが立身出世の最善の方法だったのではないでしょうか。
私は、日興証券に勤務している間に年子の子供が生まれたこともあり、よりよい職場環境を求めて、やはり大手の旧日本モトローラ、旧日本GMと2回転職しました。ですが、どこにいても人間関係がうまくいかず、結局、起業したのです。
子育てと会社員生活の両立が大変だったからかといえば、それだけではありませんでした。保育園は家の近くにありましたし、夫の両親が近くに住んでいて子育てに協力的でした。私の大企業勤めがうまくいかなかったのは、私のヒューマンスキルが未熟で、大きな組織で働くのに向いていなかったという結論です。
今では私も、執筆や講演で稼ぐジョブ型の生活を送っているわけです。
34歳のときに起業し、55歳のときに事業譲渡した紅茶の通販事業は、インドから茶園直送のプレミアム紅茶を仕入れ、ネット経由で全国の紅茶愛好家に宅配便でお届けする、スモールビジネスでした。紅茶は賞味期限が輸入後2年と長いので、私とアルバイト2人で運営していました。家事育児と両立して働くには最適な仕事でした。

私は、もう一つ、父親世代から培われてきたと考えられる生き方から抜け出ています。
都会には、いい大学に入って、いい会社に勤めるというワークライフの入り口ともいえる、中学受験競争がありますよね。小学生が塾に通って夜遅くまで毎日勉強しています。私は、これに子供たちが巻き込まれるのが嫌で、長男が小学校5年生のときに東京近隣の千葉県浦安市から長野県に引っ越したんです。
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