「底なしの沼」だった西郷の孤独
それぞれ明治維新と信長の“天下布武”という、歴史的な変革に大きく貢献した2人が、なぜ最後に自暴自棄のようにさえ思える行動に走ってしまったのでしょうか。
加来:西郷も光秀も、最後の局面で、何でも相談できる相手がいなかったことが影響したように思います。西郷は幕末維新で同志だった大久保とたもとを分かちました。いったん志を同じくし、西郷のいいところも悪いところも理解してくれている盟友から離れて、下野した西郷の孤独感は「底なしの沼」のようだったと思います。
一方の光秀も本能寺の変の前に、何でも相談できる大事にしていた妻を亡くしていました。光秀に側室はおらず、子どもは女の子が3人(あるいは4人)でした。とても家庭的な人でしたが、悩みや愚痴を聞いてくれる人が、近くにいませんでした。戦国時代においては、娘を相談相手にするのは難しい状況でした。
だから、不平・不満が自分の心中体内にたまっていきます。光秀の年齢には諸説がありますが、信長よりも6~18歳は年上で、際限なく戦いが続く日々に疲れていたはずです。昔ならプレッシャーを跳ね返して、エネルギーに転換できたのかもしれませんが、齢(よわい)を重ねる中で、相談相手も失って、どんどん追い詰められていったように思います。
ビジネスパーソンにとっても、何でも話せる相談相手がいることは大変重要です。そういう人がいないと、大事な決断を下す際に判断が難しくなります。
加来:先行きを考えても、いい答えは出てこない。悩みを振り払うことができない状況だったのではないでしょうか。豊臣秀吉は、趣味の世界があり、殴られても笑っていられるような人物でした。しかし光秀はプライドで生きているようなタイプです。信長よりも年上で、激しい戦いがずっと続く中で「もう引退させてください。体が持ちません」と現役を離れるべきだったのかもしれません。西郷も、大久保のようにヨーロッパにでも行って、世界を見てくればよかったように思います。
人は使命感をあまりに持ち過ぎると、「自分がなんとかしないといけない」とつい考えがちです。疲れた光秀も「自分でなんとか解決しないといけない」と考えたのでしょう。そういう人間は、ギリギリのところまできたら逃げようがない。
歴史に学べば、こうした前兆に気が付くことがあります。繰り返される歴史からは、失敗の前兆が必ず見える。それが何かを自分の中で理解することが大事です。
一番危ないのは、仕事ばかりに熱中して趣味がなく、客観的に自分を見ることができないような人です。ふだん付き合いがないような人たちと、接する場面がある方がいいように、私は思います。「釣りバカ日誌」に出てくる社長は仕事以外に釣りという趣味があるから、自分を客観的に見ることができるのかもしれません。結果論になりますが、西郷も光秀も、最後の場面で、自分を客観的に見ることができなかったところが惜しまれます。
・明智光秀は、なぜ “絶好のチャンス” を生かし切れなかったのか。
・夢ではなかった黒田官兵衛の “天下取り” が消えてしまった一言。
・のちの関ヶ原の戦いに生かした、徳川家康の失敗とは?
・山陰の太守、尼子と、名門甲斐武田の家が続かなかった共通点…
歴史上の英雄たちも失敗しています。
歴史家の加来耕三氏が、独自視点の軽快かつ濃密な歴史物語で25人の英雄たちの “知られざる失敗の原因” を明らかにし、現代に通じる教訓を浮かび上がらせました。
見逃しがちな落とし穴、絶対に失ってはならない大切なものを見極める技、避けられない危機を最小限に食い止める対処法…。失敗に学べば、「成功」「逆転」「復活」の法則が見えてきます。
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