峰:はい。最初の分科会、専門家の委員会が世界に先駆けて「3密回避」、混雑した環境での飛沫感染を避けることが感染拡大防止に重要だ、という、経験と情報が積み上がってきた現時点から考えても正しい対策を見い出し、それを広めるという判断を行い、それに沿って対策が行われたこと、島国である程度閉鎖ができる環境であったこと、そしてなにより日本人の国民性などが幸いして、ある程度以上人との接触を自粛できたこと。これらが重なって、昨年の夏の第2波までを軽い被害で乗り切ることができました。
それが「う」ですか。
峰:そう。始まりはもちろん大変でしたが悪くなかった。予防という考え方と行動が一定の範囲でできている状況をつくれたわけです。
これは初動で「大失敗」した米国や英国などとはえらい違いです。彼らはリソースの多くを端から検査と隔離ばかりに振り向けてしまい、大変非効率な対策を採ってしまったこともあり、ものすごい犠牲者を出しました。日本でも多くの方が亡くなりましたが、ドライな言い方を許していただくなら、死亡者の数で言えば「国難」というレベルとは言えないと思います(4月25日時点での死者累計は日本9978人、米国57万1921人、米ジョン・ホプキンス大学、NHKなどによる)。
うーん。
峰:もちろん、経済的な影響などまで含めれば話は別ですよ。そこは専門外なので触れずにおきます。
分かります。だからこそ、「出足は良かったのに現状はどうなの」と思うわけですよ。対策が本格的に動き出して、わりといい手を打った。すくなくとも昨年の夏ごろまでは。そこから、対策を湯加減に例えるなら、熱いお湯を冷まし始めたわけですよね。例の「GoTo」とか。ああっもしかしてあれがミッドウェー……。
峰:個々の戦いを批判的に振り返るのも大切ですが、私は、「緊急事態宣言」という、お願いベース以上の強い方策(もちろん補償も含めて)を打てる環境整備、これをこの「小康」を得てかせいだ時期に用意できなかったことが、大きな失策ではないかと思います。
新型コロナ対策の前提が激変した
手持ちの対策で時間をかせいでいる間に、風呂に熱いお湯を入れる、強いブレーキを踏むための準備をすべきだった。
峰:はい。感染者が再び増えた際にどこの組織がどう動くか、そのために必要な制度は何か、国際対応、水際対策はどうするのか、といった、行政・政治面ではほとんど何もしなかったと思います。
確かに、経済活動再開の効果極大化と、オリンピックしか見ていなかった……ような気がします。
峰:従いまして、感染症の対策の視点から言えば、生ぬるい、というか、怠慢のそしりは免れない部分があるのではないかと。それでも拡大がこの程度で収まっているのは、3密を避ける、マスクをして手を洗う、外出・外食を控える、といった、当初からの対策である基本予防策と、それをちゃんと守って努力してきた人々の力、さらには島国という幸運な条件があるゆえだと思います。
欧米並みのロックダウンができる体制ができていれば、さらに抑え込めたかもしれませんね?
峰:それはその通りです。法律による強制力のあるロックダウンには強い感染抑制効果があります。どこまで緩めていくのかも段階的にコントロール可能です。しかし見方を変えると日本は、自粛要請という「お願いベース」でここまで感染を抑制できた。これは、他の国よりも、最初に打った予防策のピントが合っていたためだろうと思います。
3密回避、マスクに手洗い。しかし米国には、日本より強力な執行力、強制力を持つ医療関係の行政機関、「疾病対策予防センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC)」があったわけですよね。
峰:そうです。日本よりもずっと強力な制度、リソースがあったのですが、国内の「検査して隔離」を求める声が大きすぎてそちらにばかりに力を振り向けたこともあり、大変な惨事になってしまった。広報の内容にも3密回避・人の密集を防ごう、はあまり力点が置かれていなかったですし、換気などについても触れ出すのは遅かったですね。なにより原理原則の、「げ」である、「感染は人の接触で起こる」というところへの意識の向け方が弱すぎました。
しかし、検査の有効性うんぬんを含めてはっきり言ってこれらはもう、ある意味では過去の話です。国のリソースの割き方に関わる状況はすでに大きく切り替わりました。
ワクチンですね?
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