(写真:吉成大輔)
(写真:吉成大輔)

この国の形の源流にさかのぼりたかった

伊東氏:僕の場合、さまざまな時代において、この国のカタチをつくってきた者たちを描いてきたので、その源流に遡りたいという思いがありました。この国が国家として形成されたのはいつなのか、そのきっかけは何だったのか。それで飛鳥時代に行き着いたのです。この時代は、隋や唐といった大陸国家や三韓諸国の外圧を意識せねばならない時代でした。しかし国家意識は乏しく、豪族たちは勢力争いに明け暮れていました。そんな時に仏教を基盤に据えた国家像を思い描いていたのが、蘇我馬子と推古天皇でした。

天津氏:僕は、日本が国際社会を初めて意識したのが推古朝だと考えています。西晋以来約300年ぶりに、中国では隋が統一王朝となり中華帝国が復活していました。朝鮮半島の国々をはさんで大国・中国とわたりあっていくには、日本も「国家」になることを迫られた。そのために欠けているピースをひとつひとつ埋めていった時代ではないかと。仏教の興隆、初の成文法である十七条の憲法、朝廷内の官僚の序列を示した冠位十二階……とても面白い時代です。

伊東氏:飛鳥時代は、外圧によって日本が国家というものを初めて意識した時代と言えますね。日本は外圧に弱いとよくいわれますが、強烈な外圧にさらされた時代は意外と少なく、大和・飛鳥時代、その次が鎌倉時代の蒙古襲来、そして幕末から明治初期くらいですね。

天津氏:なるほど、幕末と対比するとわかりやすいですね。

伊東氏:昨今の国際情勢は、19世紀さながら力がものを言うようになってきました。これは古代と何ら変わらないですね。隋や唐という中華帝国の圧力に抗するには、朝鮮半島の三韓と呼ばれる高句麗、新羅、百済との間に良好な外交関係を築き、あわよくば彼らの上に立つというのが、飛鳥王朝の戦略でした。そのため馬子たちは仏教文化を取り入れ、日本が文明国であることを隋や唐にアピールしました。そうした外交的駆け引きに、当初仏教は使われていたんです。天津さんは、仏教を取り入れた理由を外圧という文脈で意識されましたか。

天津氏:そうですね。古代のこの時代には仏教が、幕末には西欧文化が入ってきました。新しい文化を受け入れるかどうかを巡って国内では軋轢(あつれき)が生じますが、対外的に国家として生き残っていくには受け入れるしかありません。では、当時の為政者はこの異質な文化をいかにして国の舵(かじ)取りに生かしていったのか。これは、今の日本の状況にも通じるところがありますね。

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