日本国内だけで毎年、10億着の洋服が新品のまま廃棄される──。売れ残り製品の大量廃棄はアパレル業界にとって当たり前の慣習だったが、サステナビリティー(持続可能性)が求められる現在、見直しが急務となっている。そんなアパレル業界が生み出す無駄に半世紀前から警鐘を鳴らし、製造現場のイノベーションで変えていこうと挑戦を続ける人物がいる。2021年3月、日本経済新聞の連載「私の履歴書」でも話題を呼んでいる島精機製作所の島正博会長だ。
糸を縫い目のない立体的な服として編み上げ、製造段階でロスを出さないホールガーメント横編機をはじめ、数々の技術を開発した島会長は、“紀州のエジソン”と称される。ホールガーメント横編機はグッチやエルメスなど世界の高級ブランドに採用され、ユニクロ製品の製造現場でも活躍。その可能性に改めて注目が集まっている。島会長を長年取材し『アパレルに革命を起こした男』の執筆者でもある梶山寿子氏が島会長の果てない挑戦に迫る。(第3回)
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その先見性と技術開発で“紀州のエジソン”と称される島正博・島精機製作所会長(写真=生田将人)
島精機製作所の創業者、島正博会長と、米アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏。
2人の天才には、意外な接点があった。
1979年、世界に3つしかなかった“あるもの”に目を付け、それぞれ購入していたのだ。その縁で、買い付けのためアメリカに派遣された島精機の社員が、ジョブズ氏の家に招待されたこともあったという。
CG開発の必要性を見越して買い付け
“あるもの”とは、米航空宇宙局(NASA)が民間に払い下げたグラフィックボードである。1977年に打ち上げられた無人惑星探査機「ボイジャー」1号、2号が土星を撮影した信号を映像に変換するために使ったもの。お値段1500万円と、当時としてはなかなかの買い物である。
編機メーカーが、大金をはたいて、なぜそんなものを? と、思うだろうか。
だが、島会長の頭の中にはこんな構想があったのだ――来るべき多品種・少量生産の時代に備えるには、コンピューター制御横編機だけでなく、編機と連動するデザイン・ツール「デザインシステム」の開発が必要だ。画面上で商品のデザインをして、編機に入力するデータをつくり、指定した通りに正確に編み上げる。ニット製品の企画から生産に至る一連のプロセスをコンピューター化し、効率化しよう。
この壮大な構想は、のちに販売までを含めた「トータルファッションシステム」として実現する。その核となるデザインシステムのハードウエアやコンピューター・グラフィックス(CG)の研究に、NASAのグラフィックボードを活用したのである。
“島精機といえば編機”とのイメージが強いかもしれないが、実は、同社にとってデザインシステムはコンピューター横編機と並ぶ“車の両輪”。双方が連携してこそ、その真価を発揮する。また、テレビ局や自動車メーカーでCGシステムとして採用されるなど、デザインシステム単独の性能も高く評価されてきた。
島会長はコンピューター編機と連動するデザインやプログラミングのためのシステム「SDSシリーズ」も開発した(写真提供=島精機製作所)
前回も紹介したように、現在、同社のデザインシステム「SDS-ONE APEX」シリーズには優れたバーチャル・シミュレーションの機能もある。
驚くべきことに、こうした機能を組み込んで「バーチャルサンプル」として活用することを、島会長は70年代から考えていたらしい。だからこそ、NASAのグラフィックボードを是が非でも手に入れたかったのだ。
「社長はアホとちゃうか」と言われるくらいがいい
実物のニットに代わるものだから、その色彩美や造形美を表現することは必須である。カシミヤの毛羽までリアルに再現できるような、超高精細・超高性能のコンピューターの開発を念頭に置いていたというのだが、当時を知る人なら、それがどれほどとっぴな発想であったかが分かるだろう。
爆発的にヒットしたアーケードゲーム「スペースインベーダー」が登場したのが1978年である。CGと聞いてイメージするのは、ああいうシンプルな画像であり、それでも十分画期的だったのだ……。
「あの時代に、高度なCGを使ったバーチャルサンプルみたいなものを考えている人は、ほかにおらんかったんと違いますか」と島会長は振り返る。
バーチャルサンプルを利用することは、商品開発の効率化、リードタイム(企画着手から商品が店頭に並ぶまでの時間)の短縮だけでなく、サステナブルなものづくりにも貢献する。
「製品化されるまでに、通常は1着につき3回も4回もサンプルをつくる。サンプルのやりとりだけで半年から8カ月もかかるから、流行のタイミングを逃し、売れ残りが増えてしまうんです。画面上のサンプルを、ニューヨークとパリで同時に見ながら企画の検討ができるようになれば、実物のサンプルを何枚もつくったり、海の向こうに送ったりする手間が省ける。時間と輸送費用、そして資源のものすごい節約になるわけです。そういう時代が必ず来ると、オイルショックの頃から考えていました」
さらに付け加えれば、使用後のサンプルを燃やすときに出る二酸化炭素も削減できる。「たかがサンプル」でも、世界中のアパレル企業で作成される総量は膨大なものになるはずだ。
SDGs(持続可能な開発目標)重視の今なら大いに評価される構想だが、あまりにも先を行き過ぎていたために、自社の社員にも当時はほとんど理解されなかったという。
「いくら説明しても『社長は頭がおかしくなったみたいや』と(笑)。でも、社員に『うちの社長、アホと違うか』と思われるくらいがちょうどいい。並みのことをやっていたんでは、世の中にないものはつくれません」
時代は巡り、島会長の見立てが正しかったことが証明された。
1981年の初代の発表以降、デザインシステムは着実に進化を遂げ、アパレルの現場で広く使われている。最新の機種では、3DCGのバーチャル・モデルによるVR空間でのファッションショーやバーチャルショールームなどの活用法も可能だという。
まるで写真のような編み物
一般の消費者がデザインシステムの技術力を実感できる機会はほとんどないが、興味のある方には、島精機が運営する「オーダー・ニット・ファクトリー」で取り扱う「ニッティングアート」をお勧めしたい。
「ニッティングアート」とは、「SDS-ONE APEX」シリーズを使って、写真などの画像データをニットのデザインに起こし、ニットとして編み上げたもの。「オーダー・ニット・ファクトリー」では、完成したニット作品をクッションにしたり、額縁に入れて飾ったりする楽しみ方を提案している。
ものは試しと、亡くなった愛犬の写真を渡して、その画像を編み込んだクッションを仕立ててもらった。その出来栄えにびっくり。遠くから見ると、写真をそのままプリントしているように見えるのだ。
画像を正確に再現する「ニッティングアート」でつくられたクッション。右の写真は目の部分を拡大したもの(写真提供=筆者)
ただし、至近距離だとニットとして編まれているのがよく分かる。一目、一目に意外な色が使われていて、どんな柄なのかさっぱり分からないが(写真参照)、離れて見ると、ありし日の愛犬の姿がくっきりと立ち上がる。
「まさにオンリーワン。これならプレゼントとしても、きっと喜んでもらえる」と、友人の愛犬の写真でもうひとつオーダーした。考えることは皆同じらしく、贈答品として注文する人も多いそうだ。
お気に入りの写真を忠実に再現したクッションも、自分にぴったりのワンピースも、世界に一つだけのもの。究極の多品種・少量生産であるオンデマンド生産ならではの魅力であり、醍醐味である。
それを可能にするのが島精機の技術力。50年前、誰にも理解されなかった島会長の未来図は、今、私たちの目の前に広がっている。
「時代の先の先を読め!」
日本が誇るイノベーターの揺るぎない信念を伝える
『アパレルに革命を起こした男』梶山寿子著
エルメス、フェラガモ、プラダ……名だたる高級ブランドから、日本のアパレル最大手のユニクロまで、世界のアパレルメーカーが信頼を寄せる編機メーカーが和歌山県に本拠を置く島精機だ。
その創業者、島正博氏は、10代から天才発明少年として知られ、これまでに個人で約650件もの特許を取得。全自動の手袋編機の開発をはじめ、1995年には、機械がプログラムに従って、1着分のニットをまるごとデザイン通りに編み上げる、無縫製型のコンピューター横編機「ホールガーメント編機」を発表。その画期的なイノベーション力で“紀州のエジソン”と称される。
「『世界初』『世界一』にこだわる」「絶対にできると信じる」「時代の先の先を読め」──。
80歳を超えた今も常に手を動かし、方眼紙と鉛筆を傍らに置き、次の発明に意欲を燃やす島会長は、揺るぎない信念のもとで挑戦を続けてきた。技術開発に人生をかける島会長の情熱とその発想の秘密を、長年にわたり取材を続けてきたノンフィクション作家がつづる。
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