星野リゾートが「フラットな組織」を志向するのはなぜか。
米国経営学界で多くの受賞歴を持つ国際派の経営学者、三橋平教授と早稲田大学商学部の学生(木戸口未希子、祝瑞馨、友江黎)が、バリュー・プロポジションの理論を使って分析する。
提案型のビジネスモデルには、持続的なアイデア創出と「らしさ」の共有が求められる。
このほど刊行された『星野リゾートの事件簿2』に基づくケーススタディー。
星野リゾートの本質的な提供価値(Value proposition/バリュー・プロポジション)は何かを、前回は考えた。星野リゾートの提供価値は、「そこでしか味わえないエクスペリエンス」であり、提案型のビジネスモデルであるところに独自性がある。
旅行は楽しいが、計画には手間がかかる。旅先でのアクティビティーを提案することで、計画の負担を軽減することも星野リゾートが顧客に提供する価値であると前回、解説した
例えば、都市型観光ホテルでは「ご近所ガイドOMOレンジャー」と呼ばれるスタッフが、地元の住人しか知らないようなディープな飲食店を案内する。あるいは、地方の旅館やホテルでは伝統工芸の制作や、クマを探索するトレッキングツアーなど、その土地ならではの時間の過ごし方や体験(エクスペリエンス)が、手軽に楽しめるようになっている。そのことが顧客満足度を高めるのはもちろん、旅先での過ごし方を計画するという「顧客のタスク」を軽減し、星野リゾートの価値を高めている。
このような星野リゾートの提供価値は、同社の人や組織のマネジメントと深く結びついている。
「そこでしか味わえないエクスペリエンス」という、星野リゾートの提供価値の実現には2つの条件がある。
第1の条件は、顧客に提案する「エクスペリエンス」の内容を、持続的に更新すること。第2の条件は、「星野リゾートらしさ」の全社的な共有だ。
提案を一度で終わらせてはダメ
第1の条件である、提案内容の更新とは、新しい魅力的なエクスペリエンスを、顧客に対して提供し続けるということだ。
エクスペリエンスの提案は一度で終わってはならない。なぜならば、「エクスペリエンスの提案」そのものは、他社に模倣される可能性が高いからだ。しかし、たとえ模倣されても、新しい提案が継続的に生み出される仕組みがあれば、競争優位を保てる。ある種の持久戦であり、マラソン的な要素がある。
この条件を満たすために、星野リゾートが採用している組織マネジメントの手法が「分権化」と「マルチタスク」だ。
「分権化」とは、スタッフの間に上下関係をなくすことだ。「フラットな組織」とも言い換えられる。『星野リゾートの事件簿2』にある星野佳路代表の言葉を使えば「言いたいことを、言いたいときに、言いたい人に、言う文化をつくる」となる。
その結果、社員一人一人が経営者意識を持ち、さまざまな提案やアイデアを積極的に出し合うようになる。地元にネットワークを持ち、ローカルな情報に精通したスタッフのアイデアを取り込めれば、「ここでしか味わえないエクスペリエンス」を日々更新し、持続的に提案することが可能になる。
マルチタスクは、スタッフの視界を広げる
もう1つの「マルチタスク」とは、各スタッフが、フロント・客室・レストランサービス・調理補助といった複数の業務を担当する制度である。
マルチタスクを採用すると、スタッフ一人一人がさまざまな場面で長時間、顧客と接することになる。レストランの業務にしか携わらないスタッフであれば、アイデアは食事関連に片寄るだろうが、そのほかの場面でも顧客と接点を持つことで、幅広いアイデアが生まれ、滞在全体の満足度を高めるような気づきが生まれる。また、複数の業務を担当することで、他のスタッフの仕事について、自らの経験に基づいて積極的に考えを述べることができるようになる。このようにマルチタスクも分権化と同様、「持続的な提案の創造」と深く関係している。
第2の条件である「星野リゾートらしさ」の共有とは、文化や価値観の問題である。
分権化を進め、スタッフの自主性を重んじると、組織の方向性がバラバラになる危険がある。そうなれば、提供する価値からも統一感が失われ、ちぐはぐなものになってしまう。
これを避けるためには、「星野リゾートらしさ」とは何かという文化や価値観の共有が必要である。それぞれのスタッフが「星野リゾートらしさとは何か」について深く考え、コンセプトや方向性に納得したうえで、自分の思いを込めて共有するということだ。自発的なアイデアの醸成を促すときには、これが前提条件として重要となる。
「らしさ」を育てる
星野リゾートには、文化や価値観の共有に大きく寄与していると考えられる組織的な取り組みが、会議の在り方を中心に多く見られる。
例えば、毎月行われる「戦略報告会」という経営会議では、各部門の代表が売り上げや、直面する課題などを報告している。この会議は内部公開され、社員ならば誰もが参加できるという。スタッフ全員に対して、このような会議を公開し、星野代表が直接、スタッフに戦略を伝えることは、文化や価値観の共有に大きく寄与することは言うまでもない。
また、『星野リゾートの事件簿2』では、各施設で生まれた「星野リゾートらしい」ベスト・プラクティスの横展開にも会議が使われている事例が紹介されている。リゾナーレ熱海では、試行錯誤の末、コロナ禍でも提供できるユニークなビュッフェ・スタイルを確立した。運営マニュアル作りに加え、各施設の総支配人が熱海に集結し、新しいスタイルを体験、これを自らの施設に持ち帰っていった。これによって「らしさ」の全国展開が素早く行われることになる。
こうして共有されたコンセプトは、仕事のさまざまなシーンでスタッフ一人一人の判断基準となり、星野リゾートらしさが醸成される。
星野リゾートの経営を分析すると、「そこでしか味わえないエクスペリエンスを提案する」という顧客に向けた提供価値と、スタッフに向けた分権的なマネジメントが表裏一体となって、強みを形成していることが分かる。
『星野リゾートの事件簿2』では、分権化の目的として、スタッフの意欲を高める側面が強調されている。だが、提供価値という側面から考えると、星野リゾートのユニークな競争戦略の土台としても、分権化は機能している。
星野リゾートのマネジメントには優れたものがあり、さまざまな観点からその素晴らしさを説明することができる。前回と今回、説明してきた提供価値の独自性と、それに整合した人と組織のマネジメントの在り方は、その一例である。
星野リゾートに死角はないのか?
だが、成功企業の事例から学ぶべきことは、単に、成功をもたらしたメカニズムだけではない。さらなる成功に求められる条件や、潜在的なリスクについても検討すべきである。
そこで次回は、経営学の視点から、星野リゾートが抱え得る潜在的なリスクと、それに対する一般的な対応について考える。カテゴリー論という理論的視座を応用する(次回に続く)。
注目企業、星野リゾートの舞台裏を大公開――。
「事件が会社を強くする」(星野佳路代表)
ビジネスモデルが変わった地方の「グランドホテル」、結婚式の当日に起きた突然のアクシデント、
そして宿泊業に大きな影響を及ぼすコロナ禍……。
さまざまな「事件」を前に、星野リゾートのスタッフはどう考え、どう動いたか。
経理担当は踊り出し、
若手は畑を耕し、
ベテランは赤レンジャーになった!?
【本文より】
ユニークな戦略を次々に打ち出してきた星野にとっても、思いがけないアイデアだったのだろう。提案を聞くと、こう言った。
「それで大丈夫?」
だが、フラットな組織の自由な議論から出てきたアイデアに対して、スタッフの気持ちは前向きだった。(本書「崩れたスクラム」から)
事件と向き合った一人ひとりのスタッフの経験を、会社のナレッジとして蓄積していく……。そしてそのなかにダイヤモンドの原石のような大きなイノベーションの機会が隠れていると考えている。大事なのは、事件とは避けようとすべきことでなく、活用すべき体験である、ということだ。(本書「解説」=星野代表=から)
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