製紙事業や印刷事業は文明の源泉

 抄紙会社は、渋沢が大蔵省在職時代から「製紙事業及び印刷事業は文明の源泉」と考えて洋紙の国産化の実現に動き、設立したものです。明治7年(1874年)1月、渋沢は、抄紙会社から会計事務担当を委嘱されています。会計事務担当は現在であれば代表取締役です。

 ところが渋沢は、この会社を創立数年で潰しかけています。抄紙会社は手紙を書くにも紙幣を刷るにも洋紙が必要だとして始めた会社でしたが、紙を抄(す)く際にムラが出てしまい、いい紙ができなかったのです。特に薄い紙がうまく作れなかった。のちに渋沢の甥の大川平三郎が欧米の最新技術を導入、操業の近代化も進めて、渋沢の窮地を救っています。

<span class="fontBold">加来耕三(かく・こうぞう)</span><br> 歴史家・作家。1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科を卒業後、奈良大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師を務めながら、著作活動にいそしんでいる。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著作に『幕末維新の師弟学』(淡交社)、『立花宗茂』(中公新書ラクレ)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4296104284" target="_blank">歴史の失敗学 25人の英雄に学ぶ教訓</a>』(日経BP)など多数
加来耕三(かく・こうぞう)
歴史家・作家。1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科を卒業後、奈良大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師を務めながら、著作活動にいそしんでいる。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著作に『幕末維新の師弟学』(淡交社)、『立花宗茂』(中公新書ラクレ)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学 25人の英雄に学ぶ教訓』(日経BP)など多数

 渋沢は民間人になってのち、秀英舎(現・大日本印刷)、大阪紡績や三重紡績(現・東洋紡)、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)、東京人造肥料会社(現・日産化学)、大日本麦酒会社(のちのアサヒビールとサッポロビール)、日本郵船、東京瓦斯(現・東京ガス)、東京製綱会社(現・東京製綱)、帝国ホテルなど、500以上の会社の創立に関与していきました。

 ただし、これらの中で経営トップに就いたのは第一国立銀行と抄紙会社の2つだけです。しかも抄紙会社を創立数年で潰しかけている。実は、渋沢がトップに就いていない会社でも、彼が関わって、かならずしも成功しているとはいえない会社は多かったのです。

 新政府で明治維新の理想を実現したのちに、民間にあっては多くの企業の設立に関わった渋沢でしたが、「企業を経営する」という点では評価しない、という声もあります。

 ただ、誤解があるようですが、渋沢栄一が次々と会社の設立に関わっていったのは、日本が近代化していくために、必要だと思う業種の会社を創るためでした。その産業がなくては近代化ができない、という会社をつくっていったのであって、利益を上げるため、儲けるためではなかったのです。

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