国際政治学者 三浦 瑠麗氏
国際政治学者 三浦 瑠麗氏
東京大学大学院修了。同政策ビジョン研究センター講師を経て、山猫総合研究所代表。著書に『21世紀の戦争と平和』『日本の分断』など(写真=北山宏一)

 ロシアがウクライナに侵攻して以来、19世紀的な勢力圏の発想で、時代が戻ったようだ、という声が多く聞かれる。たしかに、2014年以来国土が分断され事実上戦争が続いてきたとはいえ、破綻国家にもなっていない国の首都が包囲され、大都市が砲撃されるさまは、あまりに国際法を度外視した行為であり、力の論理が跋扈(ばっこ)する世界を想起させる。

 現状の国際秩序が挑戦を受けているのは間違いない。しかし、これへの対処いかんによっては、われわれ自ら戦乱の世紀に足を踏み入れてしまう可能性がある。歴史の節目には、今論じられているよりももう少し長いスパンで物事を捉え、歴史を理解しつつその教訓に学んだうえで現在の事態に関与する必要がある。

『「帝国」ロシアの地政学』小泉悠著 2640円(税込み) 東京堂出版
『「帝国」ロシアの地政学』小泉悠著 2640円(税込み) 東京堂出版
著者は軍事専門家であり、長年ロシア政治の研究を続けてきた。ロシアによるウクライナ侵攻の前に、その勢力圏拡大の狙いを指摘した書籍として話題に。「大国」であろうとするロシアの戦略を解説する。

プーチン大統領の思考を観察、ウクライナ侵攻の可能性を指摘

 今回紹介したい本は『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版、2019年)である。著者はいまや各メディアにおけるロシア=ウクライナ戦争の解説者として知らぬ者はないというほどにその的確な分析が話題となっている小泉悠氏だが、ここまでの信頼を勝ち得ているのは氏が3つの視点から現代ロシアの情勢を分析しているからだろう。1つ目はプーチン大統領と彼が代表しようとしているロシアの帝国的振る舞いの視点。2つ目は軍事専門家の視点。3つ目は、現代の西側に属するものとしての視点である。

 日本の知的伝統においては、昔から優れたロシア文学や芸術の影響が色濃く、とりわけ戦後日本においては知識人が米国に対するナショナリズムと非同盟的な立場への憧れを抱いていたために、ロシア(ソ連)の文物の影響は強かったと言うべきだろう。何も、知識人が左派的イデオロギーに染まったということのみを指しているのではない。圧政に呻吟(しんぎん)する中で生まれた文化芸術に魅せられた人は多い。敗戦時のソ連兵による蛮行やシベリア抑留などの具体的事象に着目すれば、日本にとってのソ連は乱暴者でしかないのだが、ロシア文化に対する造詣が日本の一面的ではないロシア理解を支えてきた。

 とはいえ、日本にとってロシアはあまりに異質である。地域専門家がロシアを理解しようとすればするほど、情報戦に惑わされてしまう可能性もある。何より、今回はロシア国内の官僚や専門家のほとんどでさえ予想だにしなかった大規模侵攻である。小泉氏はプーチン大統領の論理を的確に分析するとともに、軍事的知見に基づき、今回のような事態が起こる可能性が決して否定できないことを事前に指摘していた。不合理なアクターによる戦争を予見することは難しい。ここは、軍事専門家としての視点とともに、プーチン大統領の思考をつぶさに観察してきた著者の面目躍如というところだろう。

帝国は自滅する運命を持つ、果たして「帝政」ロシアは?

 小泉氏の本を私がはじめて書評で紹介したのは約5年前である。『プーチンの国家戦略 岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版、2016年)を評して、「ロシアの立場から見た国際情勢の移り変わりと厳しさを明確に提示しつつ、それでいてロシア特殊論やロシアびいきに流れない説得力を持っている」と書いた(読売新聞書評)。

 今回紹介する『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』では、プーチン大統領の思考からさらに議論を広げて帝国としてのロシアにフォーカスを当て、その行動原理と彼らが直面する困難を描き出して、サントリー学芸賞を受賞した。著者の視点は現地の洞察に裏付けられたものである。北方領土問題でも、ロシア=ウクライナ関係においても、第一級のジャーナリストのような観察眼を通じてロシアの今を捉えている。

 歴史上、様々な大国の興亡があった。これまでの歴史を総合すれば、帝国は「手の広げすぎ」と「軍備の負担」によって弱体化し、衰退する。つまり、覇権戦争における敗北というよりも、帝国が自滅するというのが、一般的な衰退のプロセスであるというのが先行研究の示すところである。だが、その帝国の性格は様々だ。

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