(前編はこちらから)

『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』(早野龍五著、新潮社)を読んで、著者の早野先生にお話を聞いています。科学、というと、ちょっと昔話なんですけど、私がそれこそ小学生とかそのころって、子供向けの科学番組がよくあって。「四つの目」とか
早野:ありましたよね。
そういうのに触れて育ったせいか、基本的には「科学」という言葉にポジティブな響きを感じてきたんですが、最近は「科学に疑義を呈すること」が、バズる方法論として定着してしまったような印象がないでしょうか。「こんなことも分かっていない」「こんな間違いをやらかしている」と。
早野:ああ、確かにね。
一方で、科学というのはよくも悪くも、断言というものからちょっと距離を取ろうとするところもあって。
早野:まあ、そうね。断言しないですよね、専門家はね。
ツイッターのリンク先を読む人は……
以前「飛行機が飛ぶ理屈って解明されていないんだよ」という酒の席の同輩の発言を受けて、そんな馬鹿なことがあるか、と専門家の方に取材したんです。そうしたら出てきたのが「クッタの定理」というやつで。飛ぶ理屈はこれで工学的には完全に分かっている。だけど、数式で一般解を出すことができていない。だから、「飛行機を安全に飛ばすことはできるけれど、100%、完全に分かっているのかと言われたら、そうは言い切れないんだ」と。
早野:そうですね。何しろ「ナビエ-ストークスの方程式」というのは、もう難物ですからね。
(……さすが)ともかく、科学者の方は「断言」することにたいへんためらいを感じてしまう。これは、コミュニケーションの、特にツイッターのような140字内の戦いみたいなところでは、戦いづらいところもあったりするなと。
早野:ありますね。
根拠となる論文をリンクしても、おそらくちゃんと読む人、読める人は少ないですよねえ。
早野:はい、その通りです。ツイッターのリンク先をきちんと読もうという人はそうはいません。ちなみに、新聞社のツイートはそこを勘違いしている例が多いと思います。新聞の見出しはすぐ横に本文がありますが、ツイッターの記事リンクはクリックされず、見出しの第一印象だけでリツイートされたりしています。
「飛行機が飛ぶのは分かっていない」だけが流通して、「だから科学って案外いい加減なんだ」みたいな理解が広がると。
早野:そういうこと。見出しだけ見て、その印象で、「きっとこれは何々が書いてあるに違いない」と思う。多くの場合は間違えて思うわけですよ。ほとんどの人はリンクをクリックしないままに見出しだけ見て、そいつをリツイートする。新聞社はツイッターというメディアの特性をまったく理解していない、と感じることがよくあります。
新聞、雑誌は「本文が読まれるのが当たり前」ですから、見出しだけが流通するという事態には、なかなか気付きにくいかもしれません(汗)。
話を戻しますが、ことリスクコミュニケーションについては、科学者としての矜持に従って、本当にけんかしなくてもいいんでしょうか。データ、文献、論文などだけでなく、ある程度「断言」も使って、デマと戦うことも考えていいんじゃないか、と正直思うのですが。
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