「平安時代に宮中で一発おならをしてしまった藤原義忠は罰を与えられ、豊臣秀吉天下の時代、秀吉の御前でプーとやってしまった御伽衆(おとぎしゅう)は播磨と備中に合わせて2000石を加増」という前回の加来耕三氏のプロローグは、同氏ならではの型破りなネタだったが、失敗と成功は表裏一体であるという真実を伝えてくれている。

 2回目の今回は、最新刊の『渋沢栄一と明治の起業家たちに学ぶ 危機突破力』から、加来氏が本書に込めた思いをストレートにつづっている箇所を抜粋して紹介する。

 現実の危機管理(クライシス・マネジメント)においては、「失敗は成功のもと」とは判断されず、失敗は冷酷にマイナスとしてしか省みられることがない。

 とくに「昭和」の後半から、「平成」「令和」と進むにしたがって、失敗への寛容さがなくなってしまった。

 なぜか、受験勉強がそうであるように、決められた設問への「解」を最短で出す方法ばかりを、現代社会は教えてきたからだ。成功事例のみを重視する学びは、とりわけスマホ(スマートフォン)が普及してから顕著となったように思われる。

 なるほど、成功事例をマネすることが、成功の近道だった「昭和」の高度経済成長期時代には、それなりに意味のある“学び”であったかもしれない。決められた設問に、正確な「解」を、素早く出した者が勝者となった時代が、かつてはあった。

 この方法では、結果としてしくじったもの、失敗したものは、「ダメなやつ」という烙印(らくいん)を押されることになる。消すことのできないバッテンを一度つけられると、再びそこから這(は)い出すのは困難を極めた。

加来耕三(かく・こうぞう)
歴史家・作家。1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科を卒業後、奈良大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師を務めながら、著作活動にいそしんでいる。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著作に『幕末維新の師弟学』(淡交社)、『立花宗茂』(中公新書ラクレ)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学 25人の英雄に学ぶ教訓』(日経BP)など多数。

 ちなみに、このダメ=「駄目」は、もともと囲碁の用語である。

 碁は領地争いをして、より多くの“目”を囲み取った方が勝ちになる遊びだが、打っているうちに、自分の領域にも、対局相手の領域にも属さない「無駄な目」が生まれる。双方の利得にならない目、これが「駄目」。それでも、一目を争って決着をつけるときには、どの一目が自分の領域になるか、相手のものになるか、「駄目を押す」ことになる。

 だが、ダメの烙印を押す=成功事例をマネする、従来の「解」の求め方は、バブル経済がはじけ、リーマン・ショックやコロナ禍が発生すると、通用しなくなってしまった。「令和」の昨今では、これまでの成功事例が通力を持たなくなってしまったからだ。

 求められるのは、危機突破の創造力であり、未知なる世界に乗り出す新たな海図を、自ら描くことである。新しいものを創り出すとき、避けてとおれないのが失敗であり、危機管理であって、マイナスをプラスに活かして成功に導き得るかどうか、であった。

続きを読む 2/3 「革新」を遂行する過程で必ず生じるのが「失敗」

この記事はシリーズ「Books」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。