失敗は成功と共に生きていた
──「納豆」は失敗によって生まれた、との俗説がある。
蝦夷征討のおりに、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ、清和源氏系河内源氏の三代)が奥州の安倍貞任(あべのさだとう)を討つべく、平泉付近(現・岩手県西磐井郡平泉町)に陣をしいて、腹がへっては戦ができぬ、と近所から集めた大豆を煮ているとき、敵の襲撃をうけてしまう。
「しまった!」と思うものの、応戦の準備が整わない。
義家はしかたなく、陣を払って逃げたが、このとき彼は煮た大豆をもったいない、と藁俵(わらだわら)につめて、馬の鞍に乗せて逃げたという。逃げきったあとで、その大豆を取り出してみたら、納豆ができあがっていたというのだ。
関西では、「この腐った大豆は馬も食べず、腹をすかした源氏は食った」──こんなものは食べるものではない、とつづくのだが、これはもとより史実ではあるまい。
蛇足ながら、関東と関西の境は、現在の京都府と滋賀県の境にある逢坂山(おうさかやま)という小高い山とされている。昔ここに、「逢坂の関」という関所があった。
ここを通ると、東国から京の都へ入れたのである。
しかし、「納豆」の誕生譚(ばなし)ではないが、「失敗は成功のもと」(失敗することによって、物事への注意力や慎重さが増し、成功への礎が築かれること)はあり得る。
先述のおならも同断。おならの臭さの原因は、ごく少量のスカトール(メチルインドール)、インドール、硫化水素などが原因とされているが、なかでも元凶はスカトール。
ところが、このスカトール、高級な香水にはほんの微量ながら、かくし味ならぬ、かくし香(匂い)として、必ず含まれていた。失敗は成功と共に生きていたわけだ。
(第2回に続く)
先の見えない今、加来耕三氏が、幕末・明治に活躍した渋沢栄一ほか、三菱や三井、住友などの財閥を興した不屈の起業家10人にフォーカス。歴史ファン、コロナ禍で厳しい状況に置かれている事業主、先行き不安なビジネスパーソンらに向けて、希望の気持ちにスイッチを入れてもらうべく筆を執りました。
「渋沢栄一」「安田善次郎」「浅野総一郎」「古河市兵衛」「三野村利左衛門」「広瀬宰平」「伊庭貞剛」「大倉喜八郎」「岩崎弥太郎」「岩崎弥之助」の、苦悩もありながらの痛快な生き様から、危機を突破する力を学べる一冊です。
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