2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まった。舞台は幕末・明治。主人公は後に日本資本主義の父と呼ばれるようになる渋沢栄一だ。渋沢役の吉沢亮の熱演があり、徳川慶喜役の草彅剛もはまっていて、出足は好視聴率となっている。

 ドラマでは、早くも幕末・明治の激変を予感させるストーリーが展開しつつあるが、まさにこの世の中が大きく変わっていく時代に、渋沢は躍動した。激変に耐えられず、没落する人々も多い中、日本経済の基礎をつくり上げていく。そして忘れてはならないのが、想像できないような危機を乗り越えたのは渋沢だけではなかったということだ。

 この機に“渋沢本”も多数が出版されているが、歴史家・作家の加来耕三氏も筆を執った。渋沢だけではなく、三菱や三井、住友などの財閥を興した不屈の起業家10人をピックアップ。彼らの、苦労しながらも数々の逆境を知恵や工夫で乗り越えていく痛快な生き様を描いた『渋沢栄一と明治の起業家たちに学ぶ 危機突破力』を出版した。

 幕末・明治の経済人たちが、危機をいかにして乗り越えてきたのかという本書のエッセンスを紹介する記事の第1回。今回は本書の一部を抜粋し、加来氏が執筆の狙いについて語る。

 避けようとしても、起きてしまうのが失敗(しそこない、やりそこない)である。

 冒頭から尾籠(びろう)な(はばかられる)挿話で恐縮だが、長暦4年(1040年・この年の11月10日に「長久」へ改元)の6月15日、厳粛な宮中で一発プッとおなら(屁<へ>)をしてしまった藤原義忠(ふじわらののりただ)は、「屁をひって尻をすぼめ」(過失をしてはごまかすたとえ)とはならず、島流しの罰を与えられた(実際に、島流しが執行されたかどうかは不明)。

 それにしても、生理現象である。義忠は我慢できず、止めようがなかったのだろう。彼は翌年10月、吉野川の舟遊び中に舟が転覆し、水死している。享年は不詳。実に残念な、気の毒な晩年であった。

加来耕三(かく・こうぞう) 歴史家・作家。1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科を卒業後、奈良大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師を務めながら、著作活動にいそしんでいる。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著作に『幕末維新の師弟学』(淡交社)、『立花宗茂』(中公新書ラクレ)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学』(日経BP)など多数。
加来耕三(かく・こうぞう) 歴史家・作家。1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科を卒業後、奈良大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師を務めながら、著作活動にいそしんでいる。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著作に『幕末維新の師弟学』(淡交社)、『立花宗茂』(中公新書ラクレ)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学』(日経BP)など多数。

 ところが、おなじおならをしながら、罰せられるどころか“得”をした人も、歴史上には存在した。天下人となった豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)・曾呂利新左衛門(そろりしんざえもん、名は杉本新左衛門、杉本甚兵衛<じんべい>、坂内宗拾<さかうちそうしゅう>ともいい、堺の鞘師<さやし>であったと伝えられる)である。

 秀吉の御前にまかり出た新左衛門、場所柄もわきまえず、ついプーとやってしまった。

 怒った秀吉は手にしていた笏(しゃく)で、新左衛門の頭を打擲(ちょうちゃく)する。すると新左衛門の頭に、大きなこぶが2つできた。彼は即興で、次のように吟じたものである。

おならして国2カ国を得たりけり

頭はりまに尻はびっちゅう

 相手は秀吉である、ニヤッと笑って新左衛門の機転に気をよくした彼は、播磨(現・兵庫県南西部)と備中(現・岡山県西部)に合わせて2000石を加増したという。

 義忠も曾呂利も、悲喜こもごもの涙を流したかもしれない。

 さて、人は一生に何度、泣くか──。

 世界の平均寿命を約72歳(WHO調べ・2020年版)として、少なくとも月に1度泣くとすると、人は864度泣くことになる(ある研究によれば、世界平均で男性が月に1回、女性が2.7回泣くという)。

 しかしこれは、喜怒哀楽──感情の起伏によって生じた涙である。

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