ロジャー・ウィリアムズが見いだした道

小田嶋:最後の方に出てきて、これもちょっと不思議だなと思ったんだけど、お互いに譲れない価値観がぶつかる際に、ウィリアムズという人は「礼節」を持ち込むことで対処しようとしたわけですね。

森本:そうです。それを私としては強調したい。

小田嶋:一回りして、人間関係の入り口に戻る、みたいな感じになっていますよね。

森本:うん。やっぱり相手のことを認められない、認めたくないというか、嫌いというか。そういう感情が前提にあった上でなお、礼節は保つ。誰かを否定する際にも礼儀と礼節。これも本に書きましたが、ロジャー・ウィリアムズは決して「みんな違って、みんないい」と思っていたわけじゃないと思うんだよね。違いは認めるけれど、好き嫌いは別だし、言いたいことも言う。

「おまえは間違っている」と正面から理屈で殴り掛かってくる人ですよね。

森本:空気は読まない、議論は徹底的で、相手の立場やメンツにも顧慮しない。だけど礼儀、礼節の一線は守った。相手にもそれは期待した。そういう意味では、「寛容」は最低限の礼節、という言い方もできるのかもしれない。

小田嶋:それを彼はどこから学んだんだろうか。

森本:ウィリアムズはそれを先住民から学んでいるんですよ。僕、そこはなかなか面白いなと思うんだな。

 彼は先住民のやっていることを一から十まで褒めたたえたわけではないし、書いた本の中でいろいろ批判もしている。だけど、彼らの生活基盤を脅かしたり、宗教儀式を邪魔したりすることは一切していない。ロジャーの信念と、率直な物言いと最低限の礼節が、かえって先住民に気に入られて、彼らの信頼を勝ち得て、土地を譲ってもらえたりもした。

「俺に大事なものがあるように、おまえらにもあるんだろう」という信念と、最低限の礼節。それがあれば17世紀の、アメリカ大陸の先住民と、英国育ちのピューリタンとの間にも、ちゃんとした関係性が成立した、というのは、この本が見せてくれる大きな救いでもありますね。

森本:まあ、そこまではよかったんだけど、ロジャーはさらに「先住民の方がよっぽどキリスト教的だ」という本まで書いてしまうから同胞から嫌われるわけで……。「ロジャーさん、もうちょっと社会性を身に付けた方がいいですよ」と、僕ですら言いたくなってしまう。

小田嶋:でも、社会性ももちろん大事だけど、この人みたいに「自分が大事と思うもの」をがっちりつかまえていることが、他人に寛容になるためには欠かせない、ってことにならないのかな。

そう言われると、やはり「事大主義」のままでいいのかな、と思いますね。

寛容は「自分が大事なものは何なのか」から始まる

森本:日本全体として見ると、国際社会の中で日本は戦争を経て生まれ変わって、西側社会の一員に迎え入れられて、そのまま優等生になったわけだよね。まじめにアメリカさんの言うことを聞いていい子に育ってきた。

 そういう、自分の在り方を半分売り払って優等生であり続けた結果、今、「自分たちの達成すべき目標って何だろう」と分からなくなっちゃって、虚無感にとらわれている。これは個人に置き換えれば、組織の空気に身を委ね続けてきたけれど、定年を前にこの先どうしましょう、と考えているようなもので。

まさしく今の自分です。どうしたらいいんでしょうね。

森本:自分たちが本来求めていた幸福の在り方は、やっぱり自分たちで求めるしかない。人の尺度の優等生であり続けると、知らない間になくなっちゃうんだよ、その目的が。

 面白いのは、アメリカ合衆国の独立宣言と日本の憲法がまったく同じ言葉遣いをしているところ。「生命・自由・幸福の追求」という3つのセットのうち、幸福だけは「追求」する権利で、幸福そのものの権利を保障していない。それはやっぱり幸福の中身が人によってさまざまだからでしょう。

そうなると自分は何をしたいんだろうということを本気で考えないといけない。

森本:誰かに自分の価値観を任せていてはいけない。それが宗教である必要はもちろんないけれど。やっぱり自分たちで育てていかないと。その先に、面倒な他者との交渉や礼節が待っていたとしても、ですね。

小田嶋:寛容への道もその先に見えてくるのかもしれないね。

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