自分と「異質」と感じたもの、「不愉快な隣人」に対して、人はどのように振る舞うべきか。

 古くて新しいこの問いに『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森本あんり著、新潮選書)という本が示された。森本先生は国際基督教大学(ICU)の人文科学科教授を務め、当日経ビジネス電子版の長寿人気連載の著者、小田嶋隆氏の高校時代の級友でもある。

 よくある俗説として「一神教の教徒がどうしても不寛容なのに対して、日本人は多神教(無宗教?)だから異文化に寛容」というものがある。だが、本書で引用された調査によれば、日本人は「他宗教の信者を信頼する」「他宗教の信者も道徳的と考える」人の比率が中国と並んで低く、「移民・外国人労働者と隣人になりたくない」率が高いという。

 「つまりこの両国(※注:日本と中国)では、何の宗教であるかを問わず、そもそも宗教というものに対する寛容度が低いのである。(中略)外来宗教との接触が少ないから、自分たちは寛容だと思い込んでいるだけだ」(同書「プロローグ」6ページより)

 森本氏は「人は未知のものには不寛容に、既知のものには寛容になりやすい」と言う。そして宗教を信じる人は、我々にとっては意外なことに「多くの宗教に真実がある。だから他人の宗教も(自分の宗教と同様に)尊重せねば」と考えるのだという(※米国での調査)。

 しかしそうはいっても「寛容」という言葉、そして「宗教」には、どうしても上から目線の響きや、行儀の善さを強制される息苦しさを感じてしまう。そんな読者に森本氏は「ロジャー・ウィリアムズ」(1603年ごろ~1683年)というとんでもない主人公を用意した。自らの信仰に忠実なあまり、母国である英国を離れて米国へ渡り、上司や恩師といえど「違う」と思えば容赦なく攻撃する「ザ・空気を読まない男」。

 しかし彼は「燃えるような信仰を持つピューリタンと言えるが、そうであるからこそ異端や異教には徹底して寛容を貫いた」。先住民から正式に土地の利用を認めてもらうべく、その社会に溶け込み、彼らの信頼を得て、ついには正式の契約も結んでしまう。口だけではなく、本気で「異質な隣人」への寛容を貫いてしまった男なのだった。

 「その内側の倫理を探ることで、われわれは容易に不寛容に転ずることのない『筋金入りの寛容』とはどんなものであるかを知ることができる」(同、11ページ)

 日本のコラム界に残った数少ない「空気を読まない男」小田嶋隆が、この本をどのように読んだのか、ご一緒に聞いていきましょう。(司会:編集Y)

1644年に植民地の特許状を英国から持ち帰ったロジャー・ウィリアムズ

小田嶋 隆(以下、小田嶋):『不寛容論』読みました。これ、素晴らしくタイミングのいい本だよね。

はい、私もそう思います。ネットを中心に世間が「不寛容」に走る中で、素晴らしいタイミングだと思います。すごく読みやすくて面白いし。

森本あんり(以下、森本):そう? いや、ほら、ロジャー・ウィリアムズが出てくるのが第三章(「異議申し立ての伝統」)以降でしょう。第二章では中世の話をしていますよね(「中世の寛容論」)。さっきこの本の編集者の三辺直太さんと「二章でだいたいもうくたびれてつまずいて、最後まで行ってもらえないんじゃないか」という話をしていました。

小田嶋:それは、そういう読者って2割か3割いるかもしれないですね。

実は私も、その辺でちょっと息切れをしかけたんですが。

森本:ああ、そう、やっぱり。

やらかす男、ウィリアムズの「寛容」

やっぱりウィリアムズがやらかしたあれこれの逸話に入ったところから、がぜん面白くなって。

小田嶋:うん、ウィリアムズが出てくると、猛烈に面白くなるんですね。

森本:そう? わあ、うれしいな。

小田嶋:話がスリリングになるんですよね。

そうなんです、え、何言い出すの、何やっちゃうの、この人、って。

森本:本当にとんでもない人なんですよ。

小田嶋:波瀾万丈でね。とにかく空気を読まないというか、読めない。

森本:ぶっ飛んでいるというかね。

だからそこまでは頑張って読んでほしい。

小田嶋:久しぶりに読書ノートというやつを取りましたよ。

おっ、分かります、その気持ち。いい話がもりもり連続するから「ちょっとまって」と、整理したくなる。

森本:うわ、光栄だな。そんなふうに読んでくれる学生って最近いないよ。

小田嶋:面白かったのは、このアン・サドレア夫人とのね(第六章、225ページ)。空気の読めない宗教家と、真っ向からやり合った女性の書簡。

ああ、すごかったですね。ほとんど殴り合いみたいな手紙の応酬。

森本:そう(笑)。あれはもうハラスメントですからね、ほとんど。

小田嶋:そして最後まで読むと、そういう空気の読めない偏屈な、ちょっと普通の意味で寛容じゃない人がたどり着く寛容、というのは、我々みたいな物分かりのいい人間が、何となく妥協している寛容とは違う視点にたどり着いていることが分かる。感慨深かったですよ。

続きを読む 2/3 宗教に「寛容」だったのは、周りに少なかったから

この記事はシリーズ「Books」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。