住友銀行(現三井住友フィナンシャルグループ)で「伝説のMOF担(対大蔵省折衝担当者)」としてその名をとどろかせ、後に楽天副会長まで務めた國重惇史氏。戦後最大の経済事件とまでいわれたイトマン事件の内幕を描いた2016年の著書『住友銀行秘史』(講談社)はベストセラーとなり、世の話題をさらった。
國重氏は「メモ魔」として知られている。その國重氏は1986年に東京地検特捜部が摘発した平和相互銀行事件の内幕を7冊のノートに記していた。このメモを託されたノンフィクション作家の児玉博氏の最新の著書が『堕ちたバンカー ~國重惇史の告白~』だ。児玉氏に話を聞いた。
『堕ちたバンカー ~國重惇史の告白~』の著者である児玉博氏 (写真:的野 弘路)
なぜこの本を出そうと思ったのか。
児玉氏:國重さんとの付き合いは22~23年になる。彼は輝かしい経歴を持ちつつ、住友銀行を追い出され、その後転落の一途をたどることになる。そんな彼が平和相互銀行合併の内幕を記した7冊のメモを私にくれたことが執筆のきっかけだった。
本でも触れたが、そのメモには当時の住友銀行がいち民間金融機関にもかかわらず、大蔵省、日本銀行、検事総長、大蔵大臣までも籠絡していくさまが克明につづられていた。ある種、金融史の闇ともいえる内容だった。これは絶対に残さなければならないと考えた。
なぜ國重さんはメモを託したのか。
児玉氏:正直にいえば分からない。國重さんは自身が招いた不倫騒動で楽天を追い出され、法外な慰謝料の離婚訴訟を起こされた。さらにその後、再就職した会社がまずかった。反社会的勢力との関係が取り沙汰されるような会社だったため、彼を支えていた経済界、金融界、霞ヶ関の人たち全員が蜘蛛(くも)の子を散らすように去って行った。さらに彼は進行性核上性まひという難病にとりつかれて、歩くことも、話すことも困難になっていった。天涯孤独になっていた。
彼と親交があった私は、久々に彼の姿を見て、あまりにも哀れな気がした。それからというもの、時々彼の家へ掃除に行くようになった。「國重さん、こんな人生、どうなんだろうね」とばか話をしながら、それはそれで楽しい日々だった。
そんなある日、彼は輪ゴムで留められた、茶色いありふれた手帳の束を渡してくれた。「読んでみろ」と。
家に帰ってその手帳を読んでみた。それは平和相互銀行合併の舞台裏が記されたメモだった。約40年前、私はこの取材に駆けずり回っていた。だが、メモを読んでがくぜんとしてしまった。現役時代、いかに的外れな取材をしていたかを知ったからだ。
当時、平和相互銀行事件の裏側では大蔵大臣の竹下登氏に金が渡ったとささやかれていた。その前提で私も取材をしていたが、金なんて渡っていなかった。逆に竹下氏は、住友銀行会長だった磯田一郎氏に「自分が総理になったら借りを返す」と話をしていた。
検事総長も住友銀行の意向に沿って動いていた。「ミスター検察」と大手新聞社がほめそやした伊藤栄樹氏からして完全に住友銀行にからめとられていた。後に闇献金事件、脱税事件の捜査を指揮した東京地検特捜部の五⼗嵐紀男⽒も副部長になった際、住友銀行にあいさつに来ていた。
前安倍政権では検事総長の人事が問題視され、検察人事が政治的だと批判を浴びたが、そんなものは昔からあったということだ。
國重惇史という人物をどう評価するか。
児玉氏:社会的には週刊誌に女性問題を書かれて蹴つまずく結果となった。イトマン事件で銀行を救ったのは自分だ、平和相互銀行合併の立役者は自分だという思い上がりに近いものがどこかにあったんだろう。週刊誌が取り上げた女性問題がセンセーショナルだったこともあり、その一点だけで彼は語られがちだが、やはり圧倒的に有能な人物だったと思う。
彼が暗躍していた当時、社会は熱を帯びていた。住友銀行と富士銀行が預金量で世界一を争い、誰しもが頂上を目指してしのぎを削っていた時代だ。そんな社会において彼は時代の申し子のような存在だった。バブルが崩壊し、社会から熱が失われていくとともに、國重さんの輝きも失われていった。あの時代だからこそ彼は輝いていたんだと思う。
楽天グループに移った後も彼は淡々と楽しそうにやってはいたが、どこかで「乱」を好む性格を考えれば、物足りなさはあったのかもしれない。彼が楽天証券の社長に就任したとき、住友銀行の頭取だった西川善文氏はあまたあるオファーの中から楽天証券の社外取締役に就任した。よく國重さんは「西川さんは頭取に駆け上がったが、俺は危険分子と思われたんだ」と、どこか西川氏に対する複雑な思いを感じさせることがあった。だが、確実にいえるのは、西川氏は國重さんを最後まで見守ったということだ。
國重さん自身はこの本を読んだのか。
児玉氏:読んでいない。彼はいま車椅子の生活をしている。『堕ちたバンカー』というタイトルにしたことを本人に伝えたら「えっ?」と顔をした。彼は自分こそがラストバンカーだという言い方をよくしていた。銀行に対する思いがことのほか強かった。実際にこの本を読んでどのようなコメントをするかは分からない。
40年前の平和相互銀行を舞台にした本だ。記憶に残っている人も少なくなってきている。
児玉氏:私はこれまでも東芝の西田厚聰氏、セゾングループの堤清二氏など、毀誉褒貶(ほうへん)の激しい人物を書籍で取り上げてきた。國重さんも、同じだ。頭取候補とまでいわれてきた國重さんは、ここまで堕ちるのかというところまで堕ちてしまった。
これは決して他人事ではないということだ。人間が堕ちるのはとても簡単で、早い。だからこそ、ビジネスパーソンに読んでもらいたい。年齢問わずだ。希有な才能を持った39歳の一人の男が、リスクを冒して会社のために働いていた姿がここにある。
おそらく、外資系企業の人が読んだら、これだけのリスクを冒して会社のために働いたのにと思うかもしれない。國重さんは海外であれば法外な報酬をもらってもおかしくないほど数々の偉業を成し遂げている。
だが、國重さんはただ楽しんで生きていた。「サラリーマン」の枠には収まりきらない人物だったし、組織を超えた活躍を見せた。生き方はたしかに豪快で常識から外れていたかもしれないが、やはり企業人だったと思う。住友銀行を出されたとき、彼のサラリーマン人生は終わりを告げた。彼はこのことに対する心の痛みを常に抱えていた。
個人と企業の関係の在り方というのは時代を超えた不変のテーマだ。コロナ禍で働き方も価値観も変わり、組織と個人の関係も変わろうとしている。サラリーマンであれば誰しもが憧れる働き方を体現してみせた國重さんだが、結局、「半沢直樹」になれなかった。『堕ちたバンカー』はそんな男の物語として読んでいただきたい。
住友銀行元取締役、國重惇史氏。後に「伝説のMOF担」と呼ばれる若手行員時代からその名をはせ、平和相互銀行事件での活躍で「将来の頭取候補」と目される。
そしてイトマン事件を内部告発し、「住友銀行の救世主」に。だが、あることから銀行を追われ、「楽天副会長」に転身。スキャンダルで辞任し、『住友銀行秘史』を著す。天才バンカーの半生を通して、日本のバブル時代の熱狂とその終焉(しゅうえん)を描くビジネスノンフィクション。
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