『嫌われる勇気』著者の岸見一郎氏と、気鋭の経営者が対話するシリーズ。
著書『ほめるのをやめよう』において、上司と部下が対等な関係にある「民主的なリーダーシップ」を提唱する岸見氏。上司と部下の関係においても、親子関係においても、「叱る」という教育を否定する。
それに対して、カヤックの柳澤大輔CEOは前回、「叱られて育った子どものほうが、大人になってからパワハラに遭ったときに強いのではないか?」と、疑問を呈した。
議論は、パワハラをする人の精神構造から、メタ認知の重要性へ。さらに、リーダーとして怒りの感情をいかにコントロールしたらいいかの実践的なアドバイスに発展していく。
パワハラ上司の下で働いたとき、精神的に強いのはどんな人か。柳澤さんから前回、そんな問題提起がありました。
「罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びるような環境で育ち、叱られ慣れている人のほうが、パワハラを受けても平気でいられるのではないか」。そう主張する人もなかにはいて、理屈として成り立たないわけでもない。岸見先生はどう考えられるか、と。
岸見:親が子どもに対等に接して育てれば、その子どもは大人になってからパワハラに遭っても、病むことはありません。そういう人は、「この上司は私に罵詈雑言を吐くけれど、所詮、そういう人なのだ」と、余裕を持って冷静に上司を見ることができるからです。
柳澤:絶対的な自信があるわけですね。
岸見:そうです。
逆に、上司から罵詈雑言を浴びて病んでしまうような人の弱さとは、何が原因なのでしょうか。
岸見:それを「弱さ」と呼ぶのは違います。
それでは、暴言を受け続けたときに、耐えられる人と耐えられない人がいるのをどう説明すればいいのでしょう。その違いは何なのでしょう。
岸見:暴言を吐く人がなぜそうするのかが分かっているかどうかです。親に民主的に育てられた子どもは、暴言を吐く人の心理が分かるので、病むことがありません。
柳澤:パワハラ上司のことも、客観的に見られるというわけですね。メタ認知が発達している。
岸見:そうです。
それでいいのでしょうか。
岸見一郎(きしみ・いちろう) 1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)、『生きづらさからの脱却』(筑摩書房)、『幸福の哲学』『人生は苦である、でも死んではいけない』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『老後に備えない生き方』(KADOKAWA)。訳書に、アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数
柳澤大輔(やなさわ・だいすけ)
カヤックCEO
1974年、香港生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、会社勤務を経て、98年、学生時代の友人と共に面白法人カヤックを設立。鎌倉に本社を構え、オリジナリティのあるコンテンツをWebサイト、スマートフォンアプリ、ソーシャルゲーム市場に発信する。ユニークな人事制度やワークスタイルも発信。著書に『面白法人カヤック会社案内』『鎌倉資本主義』(ともにプレジデント社)、『アイデアは考えるな』(日経BP)、『リビング・シフト 面白法人カヤックが考える未来』(KADOKAWA)、『面白法人カヤック社長日記 2015年-2020年愛蔵版』(Kindle版)などがある。
岸見:パワハラをするような人の心理を、アドラーは「価値低減傾向」という言葉で説明しています。
自分の価値を高めるための努力をしないで、他の人の価値を下げることによって、自分の価値を相対的に上げようとする。これを価値低減傾向といいます。
価値低減傾向がある人たちは、アドラーがいう「第一の戦場」、すなわち本来の仕事の場では、自分が有能ではないことを知っています。だから、部下を「第二の戦場」に引っ張り出してきます。中学生が、体育館の裏に友達を呼び出して、脅すようなものです。そうやって、本来の仕事とは関係のない「第二の戦場」で、自分が無能であることを見透かされないように、他人を叱るなどして、自分の価値を相対的に上げようとします。パワハラをする人は、その典型です。
パワハラをするような人たちは基本的に無能なのです。
親が対等に接して育てれば、子どもは、この事実を理解します。暴言を吐く人は無能な人なのだと分かっているので、そんな人から暴言を受けたところで、心を病むことはありません。
「正義の怒り」は、許されるのか?
柳澤:なるほど。しかし、いくら民主的に育てられても、若い社員がそこまで高い次元から、理性的に物事を見るのはなかなか難しい気もしますが……。
本の中で、岸見先生は、「怒る」と「叱る」は、区別できるものではなくて、リーダーは、怒るのはもちろん、叱ってもいけない、と書かれていました。
それでは、「義憤」というのは、どうでしょうか。正義感から怒ることにも、ほかの怒りとの区別はないのですか。
岸見:それはあります。
「私憤」と「公憤」は、区別しなければなりません。
「私憤」とは、「私の憤り」と書く通り、個人的な怒りです。親が子どもを叱るのも、上司が部下を叱るのも私憤です。
他方、「公憤」とは、「公の憤り」です。理屈で考えて「これは絶対におかしい」ということに対する憤りです。今の時代、いくらでもありますね。例えば、会社の不正を隠蔽するように上司が部下に命じたり、嘘をつくことを強要したりするようなことです。そのようなことに部下が怒りを感じたとしたら、その怒りは公憤です。
そういうときこそ、「嫌われる勇気」を持って、怒るべきだということですね。正義感に基づく怒りであれば、怒ってもいい。
岸見:ただし、公憤であっても、感情的に怒りを爆発させるようでは、物事は解決しません。言葉を用いて、理性的に「それはおかしい」と、指摘しなくてはなりません。「義憤」や「公憤」とは、理性的なものなのです。
柳澤:確かにそうですね。
柳澤:しかし、私憤と公憤の違いというのは、外から見ていても分かりにくいですし、自分でも区別がつきにくいものです。そこで私憤と公憤をすり替えちゃうことも、あるような気がしますね。
柳澤さんにも、社員に対して、怒ったり、叱ったりすることはあるのですか。
柳澤:社員に怒る……。ありますよ、あります。
後から振り返って、「怒ってごめん」というケースが多いですね(笑)。こうやって思い返してみると、怒っているその瞬間には、私憤なのか公憤なのかは、自分でもなかなか分かりません。今の自分のこの怒りが、私憤なのか公憤なのかを、怒りの最中にあって正しく判断するのは、難しい。
岸見:トレーニングが必要です。
トレーニングといっても、怒りを抑えることではありません。怒ってしまったとき、自分は「この人に何を本当に伝えたかったのか」「何をしてほしかったのか」を、突き詰めて考えていくことです。すると実は、怒りという感情を用いるより、有効な方法があるということに気づきます。
感情をぶつければ、お互いに不愉快な思いをします。感情ではなく、理性的な言葉で伝えることを学べば、怒りは必要でなくなります。以前ほどには怒らなくなった自分に気づくのにそれほど時間はかかりません。
「怒りの感情を持った」と、理性で伝える
私がトレーニングといったのは、怒りに代わる方法を使うということです。怒りに代わる方法を学べば、怒りそのものを抑えるのと違って、怒ることがなくなります。
そんなトレーニングの最初のステップとして、怒りの感情が起きたとき、「私は今、怒りの感情を持った」ということを、言葉で伝えてみるのです。
私の息子が幼い頃、笑いながら「イライライラ……」と言っていたことがありました。彼はそのとき、私に対して、「今のあなたの言葉に、私はいらついた」ということを伝えたかったのです。「いらついた」ということが伝わればいいのであって、伝えるときに実際にイライラする必要はないことを、彼は知っていました。だから、笑いながら言ったのです。
上司が部下に怒りを感じたときも、「今のあなたの言い方に、私は腹が立った」とか「傷ついた」と、言葉で伝えてみてはどうでしょう。感情を伝えるのに言葉を用いるのは、怒りの感情から自由になる一歩手前のトレーニングとして有効です。
柳澤さんが、怒ったことに気づいた後に、社員の方に謝っているというのは大事なことです。怒りを感じたら感情を爆発させるのが当然と思っていた人が、それではいけないと気づき、感情を爆発させた自分を省みて謝れるようになったとすれば、大きな前進です。そのような言葉を交わせる上司と部下はよい関係だといえます。
柳澤:謝るのが苦手な人というのは、いるものですが、あれは何に起因するものでしょう。
岸見:謝ったら負けることになると思っているのです。
柳澤:謝るのが苦手なのは、勝ち負けにこだわりすぎているということですか。
岸見:そうです。勝ち負けにこだわって謝れない人というのは、自分にしか関心がありません。アドラーのいう「共同体感覚(social interest)」が欠如しています。
仕事の関係ならば、負けてもいいのです。組織や共同体に貢献するのが仕事の目的であり、その目的が達成されるならば、自分が負けてもいい。逆に、目的の達成に失敗したら、謝るしかありません。でも、プライドが高く、自分にしか関心のない人は、自分の失敗を認めて謝るのを嫌がります。自分が負けたと感じるからです。そのような人の存在は、組織や共同体にとって、マイナスでしかありません。
柳澤:僕の認識では、「自分が悪いと思ったら謝る」という人は、基本的に謝らない人です。そういう人は、そもそも自分が悪いとは思っていませんから。
岸見:その通りだと思います。
自分が悪いとは思っていなくても、謝る人
柳澤:自分が悪いと思っていなくても、謝ってしまうくらいの人のほうが、楽なのかもしれませんね。
岸見:リーダーがまず、そのようなモデルにならなくてはなりません。部下に最初から「謝れるようになれ」と求めるのはムリな話です。だから、リーダーが最初に謝る。そして、うまくいかないときには、撤退する勇気を見せたい。
撤退とは、自分の判断の誤りを認めることであり、リーダーにそれができれば、職場の雰囲気は随分、変わってくると思います。日本人はこれが苦手で、哲学者の鶴見俊輔は「サムライ的正義感」と表現しましたが、一度始めたらやめられず、徹底的にやらないと気が済まない。日本人の悪いクセです。
今日は最初に、絶対的な自信の話をしました。パワハラに遭っても心を病まない人とは、絶対的な自信を持っている人だと。しかし、「自分は絶対に正しい」といつも思っている人が、うまくいくわけもないのであって、絶対的な自信と、間違いを認めて撤退する勇気が同居している人でないといけない。
岸見:そうですね。
柳澤:つまり、自信はあるけれど、自分が見えている世界がすべてではないことも知っている。自分を信じてはいるけれど、それとは別に、ほかの人が正しいということも認められる。
相反するようにも思える、その2つの要素をバランス良く併せ持つことが、部下にも上司にも、求められるのですね。
柳澤:そのあたりの感覚は、どうやって養っていけばいいのでしょう。
岸見:コロナ禍の今は特にそうですが、リーダーになれば、前代未聞の事態に多く見舞われます。前例を参照して、「こうすればいい」と言っているのでは済みません。
前例にないことをやっていかないといけない。そうなれば、間違うことも当然あります。そうであっても、リーダーには、確信を持って「こうしよう!」と言い切ることが求められます。でも、確信を持って断言すると同時に、自分が間違い得ることを知っていなくてはならない。その辺のさじ加減は、確かに非常に難しいです。
柳澤:なるほど、よく分かります。
すごいと思ってないなら、「すごい」と言わない
ところで、柳澤さんは、社員をほめるタイプのリーダーですか。
岸見:興味深い質問ですね。
怒ることについては、つい感情が出てしまうこともあるとうかがいましたが、ほめるほうは、どうなのでしょうか。
柳澤:多分、あまりほめないほうだと思いますが……。「ほめない」というのはちょっと違いますね。すごいと思っていないのに「すごい!」と言ったり、ほめて自分が望む方向に人を動かそうとしたりすることは、何となく苦手です。
なるほど。それでは次回、「ほめる」の意味を、柳澤さんと一緒に考えていきたいと思います。
上司であることに自信がないあなただから、
よきリーダーになれる。そのために―
◎ 叱るのをやめよう
◎ ほめるのをやめよう
◎ 部下を勇気づけよう
『嫌われる勇気』の岸見一郎が放つ、脱カリスマのリーダーシップ論
ほぼ日社長・糸井重里氏、推薦。
「リーダー論でおちこみたくなかった。
おちこむ必要はなかったようだ」
●本文より―
◎ リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのではなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。
◎ リーダーシップはリーダーと部下との対人関係として成立するのですから、天才であったりカリスマであったりすることは必要ではなく、むしろ民主的なリーダーシップには妨げになるといっていいくらいです。
◎ 率直に言って、民主的なリーダーになるためには時間と手間暇がかかります。しかし、努力は必ず報われます。
◎ 「悪い」リーダーは存在しません。部下との対人関係をどう築けばいいか知らない「下手な」リーダーがいるだけです。
◎ 自分は果たしてリーダーとして適格なのか、よきリーダーであるためにはどうすればいいかを考え抜くことが必要なのです。
● 現役経営者からの共感の声、続々!
サイボウズ社長・青野慶久氏
「多様性に対応できない昭和型リーダーシップに代わる答えが、ここにある。」
ユーグレナ社長・出雲充氏
「本書がコロナ禍の今、出版されたことには時代の必然がある」
面白法人カヤックCEO・柳澤大輔氏
「僕も起業家&経営者という職能を20年以上続けてきていますが、いわゆる起業家や経営者っぽくないと何度も言われてきました。自分自身、いわゆるリーダー体質じゃないなと思っていましたが、それは僕自身が知らず知らずにリーダーというものを過去の固定概念で捉えていたからのようです。リーダー像は多様化しており、時代とともに求められているリーダーの性質は変わり、もっといえば、誰でもなろうと思えばなれるし、一人ひとりがリーダーにならないとならないんだと思います。世の中をよりよくするために」
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