日経ビジネス電子版の人気連載に大幅加筆、編集した『データから真実を読み解くスキル』を著した、松本健太郎さん。
本業はデータサイエンティストだが、主にマーケティング分野で活動してきた。現在、報道ベンチャーのマーケティング部門に在籍し、これまでに「データマーケティング」の会社と「マーケティングリサーチ」の会社に勤務した経験がある(松本さんのこれまでの職歴については、前々回、前回にうかがった)。特に、マーケティングリサーチについては著書もある。
しかし、そもそも「マーケティングリサーチ」とは何か。「データマーケティング」と何が異なり、何が共通するのか。今回は、「マーケティングリサーチ」の本質と、その可能性について、尋ねる。
「マーケティングリサーチのなかでも、特に課題発見型の定性的なマーケティングリサーチは面白く、大きな可能性を秘めている」と、松本さんは考える。「キットカット」のケースを使って、具体的に解説する。
(聞き手は日経ビジネス)
前回、「課題発見型のマーケティングリサーチ」というコンセプトには批判が多いと指摘されました。消費者の隠れたニーズを、データ分析から探し出すのはムリではないか、という批判です。
松本健太郎さん(以下、松本):そうです。例えば「リサーチで分かることは過去のことではないか。過去のデータから、未来のことが分かるはずがない」という批判です。
消費者の隠れたニーズを捉えた新商品や新サービスのアイデアは、ある種、天啓のようにひらめくものである、ということですね。確かに、よく聞く意見です。
松本:言葉を換えれば、「消費者インサイトを突くような新商品、新サービス」は、リサーチからは出てこないという主張です。けれど、僕は違うと思っています。
そこで考察したいのが、ネスレの「キットカット」です。
松本健太郎(まつもと・けんたろう)
1984年生まれ。龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で“学び直し”。その後、株式会社デコムなどでデジタルマーケティング、消費者インサイト等の業務に携わり、現在は「テクノロジーで『今起きていること』を明らかにする報道機関」を目指す報道ベンチャー、株式会社JX通信社にてマーケティング全般を担当している。政治、経済、文化など様々なデータをデジタル化し、分析・予測することを得意とし、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌にも登場している。著書に『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)、『なぜ「つい買ってしまう」のか?』『誤解だらけの人工知能』(光文社新書)など。(写真:栗原克己)
松本:キットカットは長い歴史を誇る定番商品でしたが、2003年にスタートした「受験生応援キャンペーン」によって、新しいニーズを捉え、さらに売り上げを伸ばしました。このキャンペーンを手掛けた方こそ、後にネスレ日本の社長に就任する、高岡浩三さんです。
その高岡さんが一昨年、「プレジデントオンライン」のインタビュー記事で、このような発言をしているのを読みました。
私は常々、「イノベーションを起こすうえでは、顧客のニーズをリサーチしても役に立たない」と言っています。なぜなら私の定義では、イノベーションとは「顧客が諦めている問題、あるいは気付いていない問題を解決すること」であり、リサーチをしても問題を発見できないからです。
さらに、このような発言もありました。
顧客が認識していない問題を捉えるには、リサーチよりも、問題の本質を捉えるための思考や、ある種の“センス”が求められると考えています。
この発言だけを取り上げると、高岡さんは、「課題発見型のマーケティングリサーチ」を否定しているように読めてしまいます。
本当に「リサーチよりセンスが大事」なのか?
確かに、最初に引用した発言は、「消費者インサイトを突くような新製品、新サービス」は、リサーチからは発見できないという意味に読めます。そして、2番目の引用は、「リサーチよりセンスが大事」という趣旨と捉えられます。
松本:その代表例として、「キットカット」の受験生応援キャンペーンが紹介されています。
このインタビューでは、高岡さんの「センス」が発揮されたのは、九州支店からある報告を受けたとき、ということになっています。その報告の内容は「九州では毎年1月と2月にキットカットがよく売れている。その理由を調べたところ、受験生をもつ親御さんが、現地の方言である『きっと勝つとぉ!』と関連付けてキットカットを買っていた」というもの。これを聞いて、高岡さんは、ある種の天啓を受け、受験生応援キャンペーンを思いついた――。そんな流れで、記事はまとめられています。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
受験生応援キャンペーンは「センス」が生み出したイノベーションであり、そこにマーケティングリサーチは一切、寄与していなかったのでしょうか。
公開情報から、真実を探る
松本:僕は、違うと思っています。キットカットの受験生応援キャンペーンは、センスだけで成功したプロジェクトではない。マーケティングリサーチも寄与していました。証拠もあります。誰もがアクセスできる公開情報から容易に分かることです。
公開情報から事実に迫るというのは、松本さんが連載や、著書で、いつも使われている手法ですね。
松本:キットカットの受験生応援キャンペーンに関する文献はいろいろあって、例えば、広告代理店の担当者として、クリエイティブ部門に参画した関橋英作さんが『チーム・キットカットの きっと勝つマーケティング』(ダイヤモンド社)という本を著しています。
この本を読むと、このキャンペーンが始まる前に、キットカットのキャッチコピーを再定義する試みがあったことが分かります。
キットカットのコマーシャルといえば、「Have a break, have a KitKat(ハブ ア ブレイク、ハブ ア キットカット)」ですよね。このお菓子が日本に上陸して以来、ずっと使われてきたコピーだそうです。この「break(ブレイク)」という英語には、「休む」と「折る」という2つの意味があり、チョコを「パキッと折る」ことと「ひと休みする」ことを引っかけています。
関橋さんたちは「今の若者にとっての『break=ひと休み』とは何か」を、考えました。この問いに答えを求めて、「リサーチ」をしたのです。
実はリサーチをしていたのですね。
フォトダイアリー法で高校生の本音をあぶり出す
松本:具体的には、「フォトダイアリー法」という手法を使ったそうです。例えば「あなたにとって理想的な休憩はどんなとき?」「嫌いな休憩はどんなとき?」というテーマで、高校生に写真を撮ってもらい、その写真に感じたことを短く書いてもらうという調査手法です。
この調査から、今の若者たちが、心のなかに多くのストレスを抱えていることが見えてきて、「break=ストレスからの解放」という定義に到達したということです。
フォトダイアリー法を使ったこのリサーチの結果が、受験生応援キャンペーンにつながった、ということなのですか。
実は、高岡さん自身が、著書『ゲームのルールを変えろ』(ダイヤモンド社)に書いています。
そこに書かれた内容をかいつまんで説明すれば、広告代理店のアイデアでフォトダイアリー法による調査を実施した結果、「キットカット・ブレイク=ストレスからの解放」という新しい定義ができた。これと相前後して、九州支店の支店長から報告を受けて、毎年1月と2月にキットカットがよく売れるという。そこで理由を調べたところ、受験生の親が買っていた。そんな複数の事象が重なって、「これだ」とひらめいたというのです。
引用しましょう。
中高生には、受験というストレスがあり、応援する親御さんが、「キットカット」を買っているという事実がある。「キットカットできっと勝つ」というのは単なる語呂合わせだが、「キットカット」が受験生のストレスを癒すお守りのようなものになっているのは確かだ。
ひょっとしたらそこに、日本人のキットカット・ブレイクの心があるのではないか――。
なるほど確かに、ひらめきといえばひらめきですが、そのひらめきは、フォトダイアリー法という「マーケティングリサーチ」に基づいている。
松本:高岡さんには、フォトダイアリー法のことを隠すつもりはまったくないと思うのです。著書に書いているくらいですから。しかし、先ほどのインタビューでは、何らかの事情でフォトダイアリー法によるリサーチのプロセスが省略されてしまった。ただそれだけのことだと思うのですが、こうした省略や強調が頻繁になされると、マーケティングリサーチが役に立たないとか、何か恥ずかしい行為であるかのような誤解が広がってしまいます。この点は残念ですし、反論もしたいところです。
僕としては、ぜひ一度、高岡さんにマーケティングリサーチの意義や可能性についてインタビューして、世の誤解を解きたいところです。マーケティングに携わる者として、尊敬する大先輩の肉声に触れたいという思いもあります。
データ分析とはアートであり、
すべてのビジネスパーソンに必要な
能力です。
データ分析のお作法を学ぶ。
それが、この本の目的です。
……まことしやかな数字が、実際の所、どれほど当てになるものなのか。たまねぎの皮を1枚ずつ剥くようにして、喧伝(けんでん)された事実に隠されたもう一つの “事実” を見つけ出すにはどうしたらよいのか。そのためのスキルを学べます。
著者は、ITベンチャー勤務のマーケターにして、データサイエンティスト。データ分析のプロジェクトで数多くの失敗も味わいながら「生傷で得た教訓」を糧に著しました。
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数字が読めても、それが何を表しているかが分からなければ「分析」とは言えません。数字だけでなく、起きていることの全体を解釈し、時に俯瞰(ふかん)し、データの裏にある何かを探っていく。データに目を配り、また必要があれば提示されたデータを疑う。それが“考える”ことです。データ分析は多様な知的スキルを組み合わせたアートでもあります 。
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