これまでに読んだ本は1万冊以上、訪れた世界の都市は1200以上。「現代の知の巨人」と呼ばれる出口治明さんが、「教養としての地政学」を、分かりやすい言葉で説き起こす。
前回(第1回)は、「地政学」の定義を、辞書で調べてみた。
最初に少しだけ、前回の復習。『広辞苑』(2018年発売、第七版、岩波書店)によると、「地政学」とは……。
「政治現象と地理的条件との関係を研究する学問。スウェーデンのチェレン(一八六四-一九二二)が首唱。主にドイツにおいて第一次世界大戦後の政治的関心と結びつき、ハウスホーファー(一八六九-一九四六)によって発展、民族の生存圏の主張がナチスに利用された。地政治学」
出口さんの解説によると、地政学という名称を考案したのが、『広辞苑』に記載されているルドルフ・チェレン。ただし、その学説はドイツ人のフリードリヒ・ラッツェルの理論を継承し、発展させたもの。これらを大系化したのが、カール・ハウスホーファー。
そんな「『広辞苑』の地政学についての解説は、必ずしも満点とは言い難い」と、出口さんは指摘する。そこで今回は、地政学を切り開いた巨頭として、出口さんが高く評価する2人の地政学者を紹介する。「海の地政学」を生み出したアルフレッド・マハンと、「陸の地政学」のジョン・マッキンダー。そして、出口流の地政学の定義とは……。
出口さんの新刊『教養としての「地政学」入門』の刊行を記念した企画。
『広辞苑』が取り上げていないふたりの地政学者がいます。アルフレッド・セイヤー・マハン(1840-1914)とサー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(1861-1947)です。
このふたりは自分たちの学説を「地政学」とは呼んでいません。そのために言葉の意味を説明することを重要な役割とする『広辞苑』では、マハンとマッキンダーを取り上げなかったとも考えられます。
しかし現代の地政学についての学界の評価では、チェレンからハウスホーファーにつながる地政学ではなく、マハンとマッキンダーの理論が高く評価されています。
出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長。1948年、三重県生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画を設立し、代表取締役社長に就任。08年4月、生命保険業免許取得に伴い、ライフネット生命保険に社名を変更。12年に上場。社長、会長を10年務めた後、18年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。主な著書に『生命保険入門新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅰ・Ⅱ』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする本物の教養』『自分の頭で考える日本の論点』(以上、幻冬舎新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)『人類5000年史Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義(古代篇、中世篇、戦国・江戸篇)』『世界史の10人』(以上、文藝春秋)などがある。
マハンはアメリカ海軍大学校教授の立場で、『海上権力史論』を書きました(1890)。その著述が「海の地政学」として世界の注目を集めました。
マッキンダーは連合王国(UK。イギリス)の人です。地理学者でもあり政治家でもありました。彼は地球上の大陸と、それを取り巻く海との関係から、「ハートランド」という概念を想定しました。
「陸の地政学」とも呼ぶべき彼の豊かな構想は、1919年に発刊された『デモクラシーの理想と現実』の中に余すところなく描かれています。今日ではマッキンダーは「現代地政学の祖」と呼ばれ、地政学の基礎的な理論付けは、彼によってなされたと評価されています。
地政学はドイツの興亡と表裏一体
付言すれば、ラッツェルに始まりハウスホーファーに至る、ドイツを中心とする地政学は、ドイツの軍事的興亡と表裏一体でもありました。
オットー・フォン・ビスマルク(1815-98)の豪腕が生み出したともいえるドイツ帝国(1871-1918)から、第一次世界大戦そして第二次世界大戦に至る戦争において、ドイツが演じてしまった侵略国家の役割を外交的にも戦略論的にもバックアップしたのが、地政学の論理だったのではないか。「国家は有機体である」という理論や「生存圏」という発想が、そのことを物語っているようにも思います。
ドイツのことには露骨に触れない
留意してほしいのは、マハンの『海上権力史論』もマッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』も、ドイツを中心とする地政学者たちの活躍とほぼ同一の時期に執筆されていることです。
マハンとマッキンダーは、それぞれの理念を論理化していく過程で、ドイツという遅れ気味にヨーロッパに登場してきた新興国のことを意識していたことでしょう。しかし、そのことには露骨に言及せず、地球という球形の中で生きる人間の歴史と可能性について模索する、そのような思想を感じさせます。そのことがふたりの著書を「海の地政学」「陸の地政学」として世界が認めた大きな理由だったと思われます。
出口流「地政学の定義」とは?
それでは地政学について、僕の考えていることを述べていきます。なお、次のことをつけ加えさせてください。
マッキンダーは連合王国の人といいましたが、連合王国とはイギリスのことです。イギリスは日本だけで使用されている言葉です。この国の正式名称は、United Kingdom of Great Britain and
Northern Ireland 。世界的に使用されている略称はUnited KingdomまたはUKです。その日本語訳が連合王国です。さらにつけ加えておくと、オランダやコロンブス(人名)なども、日本だけの呼び方です。
ドイツ語で地政学はGeopolitikと呼ばれました。英語ではgeopoliticsです。地理学geographyと政治学politicsを、足し合わせた造語です。
地理学には自然地理学と人文地理学があります。人文地理学は、人口や都市に始まり政治や文化に至るまで、人間と自然との関わり合いの中で生み出したものを研究対象とします。地政学とは人文地理学の一部分ではないか、などと考えるのは不謹慎でしょうか。学問的な定義はひとまず置いておいて、地政学って何ですか? なぜ必要なのですか? と聞かれたら、僕は次のように答えています。
「ある国や国民は、地理的なことや隣国関係をも含めて、どのような環境に住んでいるのか。その場所で平和に生きるために、なすべきことは何か。どんな知恵が必要か。そのようなことを考える学問です」
しかし、もっと簡単な回答があります。
「国は引っ越しできない」
平たくいってしまえば、それが地政学が存在する前提なのですね。
「ホモ・モビリタス」という言葉があります。京都大学の名誉教授で、自然人類学者の片山一道先生が提唱した言葉です。「移動するヒト」の意味です。
人類は東アフリカで誕生して以来、食糧を求めて世界中へ移動して行きました。よりおいしいビフテキを求め、より快適な場所を求めて、ついに地球上の全大陸に移動していった動物が人類です。地球上の動物で、これほど広く分布したのは人類だけです。
狩猟採集社会に、地政学は要らない
移動すること、引っ越しすることを前提に考えたら、地政学は存在理由がありません。だから 地政学的な知恵が必要になってきたのは人間が定住し始めてからだ、と推察できます。
では、いつから人類は定住しようと考え始めたのでしょうか。それは1万2000年前頃と考えられています。
その頃、人類にドメスティケーションと呼ばれる現象が起こりました。人類の頭脳が少しずつ進化した結果なのか、突然変異なのか、理由は定かではありませんが、人類は食糧を追いかける生活を止めたのです。狩猟採集生活から農耕牧畜社会への転換が起こった、と考えられています。
ここは良い場所だなと思った地点に定住するようになる。だんだん人口も増えてくる。そのうち川向こうに乱暴な連中が住みつくようになって、トラブルが起こり始める。二年、三年と天候不順が続いたりする。すると移動しなくなった人類は、隣人対策や災害対策に知恵を絞るようになります。こうして地政学的な問題を人類が抱えるようになりました。
世界の今の見え方が変わる!
これまでに読んだ本は1万冊以上、訪れた世界の都市は1200以上。「現代の知の巨人」と呼ばれる出口治明さんが、「教養としての地政学」を、分かりやすく楽しく説き明かします。
地政学とは何か――?
ナチスも利用した「悪魔の学問」ではない。
ビジネスにも不可欠な「弱者の生きのびる知恵」である。
◎出口治明が語り下ろす、目からウロコのエッセンス。
≫地政学はなぜ必要か?
平たくいえば「国は引っ越しできない」から。
≫「陸は閉じ、水は開く」
―シュメール人のことわざに地政学の萌芽があった。
≫「どうすれば、サンドイッチの具にならずに済むか、という問題」をめぐって、
世界史の権謀術数は繰り広げられてきた。
≫海上の覇権争奪戦に関係するシーレーン(海上交通路)において、
「鍵をにぎるのが半島や海峡」である。
≫「人間の真の勇気はたったひとつである。現実を直視して、それを受け入れる勇気である」
―ロマン・ロランの名言から、日本の今を紐解く。
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