地政学という名称を考案したのはルドルフ・チェレンですが、その学説はドイツ人のフリードリヒ・ラッツェル(1844ー1904)の理論を継承し、発展させたものでした。チェレンが継承したラッツェルの理論の大要は、次のようなものです。
「国家は単なる国民の集合ではない。国力はその面積に依存し、国境は内部同一性の境界線であると同時に、国家の成長にしたがって国境も流動的に変化するものである」
ラッツェルは国土(国境線)は民族(その言語や文化)の増大によって、流動化して当然だと考えたのでした。
ヒトラーは、いかに地政学を悪用したか?
このようなラッツェルの理論を、チェレンはさらに発展させる形で、『生活形態としての国家』という論文(1916)を発表しました。すなわち彼は国家を、高度な生命組織体として位置づけたのです。それは経済的な自足性の問題を提起したことでもありました。「国家は高度な生命組織体である以上、国民の基本的な要求は、その領内の固有の資源で満たされるべきである」ということになります。そしてチェレンは、国家を生命組織体として考える理論を「地政学」と名付けました。
ラッツェルによって提起され、チェレンによって地政学として骨格を形成した学説を、さらに大系化したのが、カール・ハウスホーファーというドイツ人です。彼の学説は概略、次のようなものです。
「国家は、その国力に応じてエネルギーを得るための領域、すなわち『生存圏』を獲得しようとするものである。それは国家の権利である。さらに言えば『生存圏』とは別に、『経済的に支配する地域』の確立が必要である」
このようなハウスホーファーの理論を知ったアドルフ・ヒトラー(1889-1945)は、その理論をみずからの政策に取り入れました。第一次世界大戦で敗れたドイツは、米英仏を中心とする連合国側に対して、次のように主張したのです。ヨーロッパに生存圏を有しないドイツは、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならないと。
『広辞苑』の文章は、以上のような内容を簡潔にまとめています。
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