これまでに読んだ本は1万冊以上、訪れた世界の都市は1200以上。「現代の知の巨人」と呼ばれる出口治明さんが、「教養としての地政学」を、分かりやすい言葉で説き起こす。
第1回は、「地政学」の定義を『広辞苑』で調べてみる。そこから分かるのは「ナチスに利用された学問」という事実。
地政学には、国家権力に深く関わるイメージがある。
しかし、「地政学とは、本来、天下国家を論じる学問ではなく、人間の生きる知恵と関係するような学問だ」と、出口さんは考える。
出口さんの新刊『教養としての「地政学」入門』の刊行を記念した企画。
表日本、裏日本という言葉があります。明治時代以降、日本の近代化が進む過程で、その中心が太平洋側の地域だったので、そこを表日本と呼びました。それに応じて、日本海側の地域を裏日本と呼んだのです。
国土に表と裏をつくる、無神経な言葉でした。
しかも、たいへん短絡的な発想でもありました。アヘン戦争以前、大陸に中国という世界最強の国家が存在していた時代は、日本の表玄関はむしろ日本海側だったのですから。
ひとつの国家や民族の帰趨(きすう)は、その国の内部事情だけで完結するのではありません。自分の国が、いかなる国家・地域や民族と接しているかに大きく影響されます。それだけではなく、ひとつの国がいかなる地理的な環境下に存在しているかも無視できない問題です。大河があれば氾濫を恐れ、砂漠が多ければ水不足を恐れるごとく。人間の歴史を見ると、多くの民族や国家が与えられた自然条件の中で、知恵を絞って生き抜いてきました。
最近の世界は多事多難な時代を迎えているように見えます。
出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長。1948年、三重県生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画を設立し、代表取締役社長に就任。08年4月、生命保険業免許取得に伴い、ライフネット生命保険に社名を変更。12年に上場。社長、会長を10年務めた後、18年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。主な著書に『生命保険入門新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅰ・Ⅱ』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする本物の教養』『自分の 頭で考える日本の論点』(以上、幻冬舎新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)『人類5000年史Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義(古代篇、中世篇、戦国・江戸篇)』『世界史の10人』(以上、文藝春秋)などがある。
新型コロナウイルスによるパンデミックが起こっている現在、大国も小国も自国の利益を露骨に主張する場面が目立ちます。そのことも影響して、宗教問題や難民問題が国際的な悲劇を招くケースも増加しています。
振り返ってみれば、ふたつの世界大戦が終わり、東西冷戦の終結を経て、世界はひとつになり、平和になるかと思われました。そして、情報化時代を経て新しい文明の発達は、IT(情報技術)からAI(人工知能)へと、画期的な人類の繁栄の地平線を創造しようとしているかのようでした。しかし、「9・11」やリーマンショック、コロナ禍などの到来で世界は暗転したかのようです。
そういう時代背景の中で、国家も人々も新しい次の時代に適応するアイデンティティを探し始めているのが、現代という時代なのかもしれません。
「我が国を地政学的に考えれば」
最近の国際政治に関係する座談会や討論会などで、そのような発言を聞く機会が多いように思います。
地政学は、ひと昔前に、ドイツや日本を中心に、悪い意味で一世を風靡(ふうび)した学問です。文字通り、地理と政治学に関する学問なのですが、再び世界的に注目されています。それは、ひとつの変革期を迎えようとしている時代に、自分の国が世界の中でいかなる位置づけにあるかを、地理的にも政治的にも確認したいからでしょうか?
地政学とは、本来、天下国家を論じる学問ではなく、人間の生きる知恵と関係するような学問だと僕は考えます。そのあたりのことを中心に話したいと思います。
『広辞苑』で振り返る、地政学の定義
話の順序として、最初に地政学とは常識的にはどのような学問として紹介されているのかを、『広辞苑』(2018年発売、第七版、岩波書店)から引用します。
「地政学(Geopolitik ドイツ)政治現象と地理的条件との関係を研究する学問。スウェーデンのチェレン(一八六四-一九二二)が首唱。主にドイツにおいて第一次世界大戦後の政治的関心と結びつき、ハウスホーファー(一八六九-一九四六)によって発展、民族の生存圏の主張がナチスに利用された。地政治学」
いくつかの点を補足します。
地政学という名称を考案したのはルドルフ・チェレンですが、その学説はドイツ人のフリードリヒ・ラッツェル(1844ー1904)の理論を継承し、発展させたものでした。チェレンが継承したラッツェルの理論の大要は、次のようなものです。
「国家は単なる国民の集合ではない。国力はその面積に依存し、国境は内部同一性の境界線であると同時に、国家の成長にしたがって国境も流動的に変化するものである」
ラッツェルは国土(国境線)は民族(その言語や文化)の増大によって、流動化して当然だと考えたのでした。
ヒトラーは、いかに地政学を悪用したか?
このようなラッツェルの理論を、チェレンはさらに発展させる形で、『生活形態としての国家』という論文(1916)を発表しました。すなわち彼は国家を、高度な生命組織体として位置づけたのです。それは経済的な自足性の問題を提起したことでもありました。「国家は高度な生命組織体である以上、国民の基本的な要求は、その領内の固有の資源で満たされるべきである」ということになります。そしてチェレンは、国家を生命組織体として考える理論を「地政学」と名付けました。
ラッツェルによって提起され、チェレンによって地政学として骨格を形成した学説を、さらに大系化したのが、カール・ハウスホーファーというドイツ人です。彼の学説は概略、次のようなものです。
「国家は、その国力に応じてエネルギーを得るための領域、すなわち『生存圏』を獲得しようとするものである。それは国家の権利である。さらに言えば『生存圏』とは別に、『経済的に支配する地域』の確立が必要である」
このようなハウスホーファーの理論を知ったアドルフ・ヒトラー(1889-1945)は、その理論をみずからの政策に取り入れました。第一次世界大戦で敗れたドイツは、米英仏を中心とする連合国側に対して、次のように主張したのです。ヨーロッパに生存圏を有しないドイツは、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならないと。
『広辞苑』の文章は、以上のような内容を簡潔にまとめています。
ハウスホーファーについて付言すれば、彼は第一次世界大戦前は、陸軍の現役の軍人でした。1908年から1910年まで、駐日ドイツ大使館付武官として日本に駐在しています。彼は日本に深い関心を示し、その文化や歴史も学びました。日本陸軍とも親交を深め、彼の地政学的な理論は、陸軍の戦略に多くの影響を残すことになったのです。
また、ハウスホーファーは第一次大戦後にミュンヘン大学の教授となりました。そのときの教え子のひとりが、後にヒトラーの側近となったルドルフ・ヘス(1894-1987)です。彼との縁でハウスホーファーは、ヒトラーとも交流がありました。
ヒトラーが彼の「生存圏」の理論を、我田引水的に曲解することを憂慮していたとも伝えられています。
『広辞苑』の解説は、満点ではない
しかし、生存圏という理論が、ナチズムにとって利用しやすい理屈であることは容易に推測できます。ドイツにとっての生存圏は正義であっても、侵略される側の他の民族や国家にとっては厄災そのものとなります。
ところで『広辞苑』の地政学についての解説は、必ずしも満点とは言い難い点があると思います。(次回に続く)
世界の今の見え方が変わる!
これまでに読んだ本は1万冊以上、訪れた世界の都市は1200以上。「現代の知の巨人」と呼ばれる出口治明さんが、「教養としての地政学」を、分かりやすく楽しく説き明かします。
地政学とは何か――?
ナチスも利用した「悪魔の学問」ではない。
ビジネスにも不可欠な「弱者の生きのびる知恵」である。
◎出口治明が語り下ろす、目からウロコのエッセンス。
≫地政学はなぜ必要か?
平たくいえば「国は引っ越しできない」から。
≫「陸は閉じ、水は開く」
―シュメール人のことわざに地政学の萌芽があった。
≫「どうすれば、サンドイッチの具にならずに済むか、という問題」をめぐって、
世界史の権謀術数は繰り広げられてきた。
≫海上の覇権争奪戦に関係するシーレーン(海上交通路)において、
「鍵をにぎるのが半島や海峡」である。
≫「人間の真の勇気はたったひとつである。現実を直視して、それを受け入れる勇気である」
―ロマン・ロランの名言から、日本の今を紐解く。
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