コロナと格差問題、トヨタ経済圏で感じた東京との温度差
『Exitイグジット』著者、相場英雄氏に聞く 第3回
日経ビジネスで1年間連載した相場英雄氏の小説『Exitイグジット』が書籍化された。日本が抱える最大の問題である「財政」に切り込んだ作品の中では、「世界中にヤバい国はたくさんあるが、一番ヤバいのは日本」「(日本は)ノー・イグジット(出口なし)」という登場人物のせりふが飛び交う。著者である相場氏は通信社の記者として日銀や株式市場など金融業界を取材した経験を持ち、日本の金融、財政政策に危機感を抱いていた。だが、連載開始後に新型コロナウイルスの感染問題が発生し、事態はさらに深刻化した、と見る。相場氏が作品に込めた思い、日本の財政に対する危機感とはどのようなものか。
今回は『Exitイグジット』でも取り上げた地方銀行の経営環境など金融に関する話題に加え、登場人物の造形といった執筆の背景について聞いた。(聞き手は日経ビジネス)
相場英雄(あいば・ひでお)氏
1967年新潟県生まれ。89年、時事通信社に入社。95年から日銀記者クラブで為替、金利、デリバティブなどを担当。その後兜記者クラブ(東京証券取引所)で市況や外資系金融機関を取材。2005年『デフォルト債務不履行』で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、翌年から執筆活動に。2012年BSE問題をテーマにした『震える牛』が大ヒット。『不発弾』『トップリーグ』『トップリーグ2』などドラマ化された作品も多数ある。写真:北山宏一
モーニング文化圏で感じる中間層の厚み
前回は、一連の相場作品で取り上げられている日本の格差社会化、その背景にある派遣労働の規制緩和など雇用の問題についてお話を聞きました。かつて日本は一億総中流とも言われましたが、格差が広がることで、どんな影響が出るとお考えですか。
相場英雄氏(以下、相場氏):中間層の分厚さは、良くも悪くも社会の安定につながると思うのです。一例ですが、昨年、親族の法事のために東海地方を訪れました。名古屋を中心としたこのエリアは、いわゆる喫茶店のモーニング文化圏です。訪れた日の朝も、地元の喫茶店はどこもにぎわっていました。近隣のテーブルの会話に耳を傾けていると、東京圏で耳にするような悲壮な話はほとんどなく、ごくごく普通の世間話ばかり。何を言いたいかといえば、決して安くないモーニングを、家族や友人とともに楽しむ余裕があると感じたわけです。
都心で生活し、日々ホームレスが増加する様子を見ていると、何がこのゆとりを生んでいるのかと考えを巡らせるわけです。そこで考えたのは、これは中間層の厚みが首都圏と東海エリアで決定的に違うのではないか、という仮定です。東海エリアはトヨタ経済圏とも呼べる地域です。トヨタ自動車を筆頭に、これに連なる関連企業などで働く人の裾野が広い。コロナ禍であっても、非正規労働者も含めて比較的雇用が安定している。そうであれば、そこに暮らす人たちに日々の生活への不安は薄いのではないか、そう考えたわけです。
実際、親族の数人がトヨタ系列の大手企業で働き、東京の格差問題を話すと首をかしげていました。要するに彼らにはまだ実感がないのです。しかし、首都圏で生じている強烈な格差が是正されなければ、今後治安面での不安につながるかもしれません。
地域によっても景気の違いは大きいと感じますか。
相場氏:震災の影響もあると思いますが、北の地域、北東北から北海道にかけては、比較的、厳しい印象があります。
地方銀行の地盤沈下。進む再編、淘汰
今回の『Exitイグジット』に登場する主人公・池内貴弘の元恋人は、池内の故郷・仙台の地方銀行に勤めているという設定でした。彼女が勤める銀行も経営難に陥っています。
相場氏:全国で地銀が収益減に直面し、存続の危機にあると言われます。とりわけ東北は深刻なようです。震災はもちろん、人口の減少なども影響しているはずです。
一昔前までは、優秀な人材が地元で就職するなら、県庁や地域ナンバーワン銀行というのが定番でした。地銀の幹部ともなれば、地域のエリート、名士として扱われる存在でした。しかし、その地位は明らかに揺らいでいます。
地方の銀行界全体がここまでの経営難に陥った最大の理由は何かといえば、アベノミクスの異次元の超低金利政策の長期化であると考えます。今、貸出金利は史上最低水準にありますが、これほどの低金利でも、各地で地場産業が衰退し、生産人口が減少し、貸し出しが増えません。そもそも資金需要そのものが少ないのでしょう。銀行にしても、無理やり貸せば不良債権になる恐れが大きい。本業で収益を出せないジレンマは当分解消されないでしょう。
『Exitイグジット』の中にも、「昔は金利という概念があった」というせりふが出てきます。預金する側も金利に期待していませんが、銀行にとっては本業のもうけが消えたわけですね。
相場氏:生き残りのために、すでに県境を越えた銀行同士の経営統合も起きています。私は地方に行くと、地元の新聞社やテレビ局の方からお話を聞く機会が多いのですが、地元の人に言わせると「昔だったらあり得ない」再編が進んでいる。裏を返せば、それほど苦しいということです。
相場さんは「自分を守るために自分で考えろ」と言っておられましたが、考えているはずの地銀の人たちですら、自分を守れなくなるかもしれないということですか。
相場氏:地銀の中には、優秀で危機感が強い人は当然いるはずですが、組織自体が動けないのではないでしょうか。追い詰められているのだと思います。これまで何とか存続させ、ここから再編で生き残りを図ろうとしたところにコロナ禍が起きました。再編も、さらには淘汰も加速するでしょうね。
「磯田一郎・財務大臣」のモデルの政治家は
少し話を変えて、小説のキャラクターについてお聞きします。『Exitイグジット』の中では、「副総理兼財務大臣の磯田一郎」が地銀の破綻を懸念する場面が出てきます。相場さんの小説には、実在の政治家をモデルにした人物が登場しますが、今回は財務大臣ですね。
相場氏:『不発弾』で芦原恒三総理、『トップリーグ』では阪義家官房長官という登場人物を描きました。永田町の人たちを書くために取材をするうち、「磯田一郎」という政治家を書きたくなったのです。
これは取材で聞いた実話です。とある派閥の資金集めのパーティーで、一人の若手政治家が磯田のモデルになった方とトイレで一緒になったそうです。ふと見ると、大物政治家が驚きの行動をされていたと聞きました。多くの人が利用し、水滴だらけになった洗面台をご自分のチーフで拭いていた……というのです。このエピソードを知ったとき、正直、驚きました。記者会見のときに見せる強面(こわもて)と大きなギャップがあったからです。
仕事で接した方々にねぎらいの手紙を出されるなど律義な人柄や、面倒見の良さも知られています。また、会見などで怒る場面がありますが、それは記者の質問が的外れだったときなどで、彼なりのポリシーにはブレがないように思えます。
中堅・若手政治家の中には、発言も態度も軽い人が多い中、彼は首尾一貫している、私の目にはそう見えたのです。
永田町への取材で生まれたキャラクターだったのですね。小説の中でも磯田は育ちの良さ、豊かさを感じさせます。
相場氏:取材等含め、私が実際に会った人で、いわゆる育ちのいい「お坊ちゃま」に悪い人はあまりいません。どちらかというと、たたき上げの方が怖い印象があります。私自身がたたき上げなのでよくわかります(笑)。
たたき上げの場合、どの親分についていくかで運命が決まります。ところがお坊ちゃまは違うのです。実家が裕福だから食うに困らない。だから好きなことが言える、上ともけんかができる、信念を曲げないところがあると思います。
磯田も、日本がどうなるかを冷徹に考えています。ただし、それが我々の望むゴールなのかはわかりませんが。
『Exitイグジット』の主人公は『不発弾』の古賀遼
その磯田の懐刀として登場するのが、相場さんの人気作『不発弾』(新潮文庫)に登場した古賀遼です。九州の炭鉱町から東京に出て証券会社で場立ちとしてスタートし、バブル崩壊に苦しむ金融機関相手にリスクの高い金融商品を売りさばいた古賀は、今作では政財界のフィクサーとなっています。そして冷徹に日本の金融政策を分析し、主人公の池内にヒントを与えます。
相場氏:初めて僕の作品をお読みになった方は、記者として成長していく主人公の池内に感情移入してくださると思うのですが、『不発弾』を読んでくださった方は、古賀第2弾が出た、と思われるかもしれません。実際、私にとっての主人公はダークヒーローである古賀です。勧善懲悪のストーリーを書くつもりは全くないので。
古賀にはモデルがいるのですか。
相場氏:特定のモデルはいませんが、著者としては手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』に登場するドクター・キリコが念頭にあります。ブラック・ジャックは、高額な報酬を受け取りながらも、患者を手術して治す。本当は正義漢なのに、ちょっと悪ぶっています。これに対しドクター・キリコは安楽死の専門医です。死にたがっている患者の望みだからと実際に安楽死治療を施す。この割り切り方、そのダークな主張が古賀のキャラクターの根底にあります。
その古賀は、日本経済の現状について、「このまま財政ファイナンスを続けていれば数年後に必ず行き詰まる」とした上で「だが、新型コロナが思わぬ援軍になった」と言い切っています。
相場氏:私は、古賀の見立てが一番正確という考えで書いています。日本の財政について言えば、日銀が国債や株式を買い入れる「財政ファイナンス」という禁じ手を使い、問題を先送りしてきました。そこに新型コロナウイルス感染症が発生し、世界各国が財政出動したので、日本が抱える巨大な債務の問題が少し目立たなくなったというだけです。しかし、いずれ日本はこの膨らんだ債務、おかしくなった金融政策の是正に取り組まなくてはなりません。日本だけで何かの問題が起こった場合は、大混乱が生じる可能性があります。
今後も古賀が登場する小説を読めるのでしょうか。
相場氏:企画は作っていますが、内容については、企業秘密ということで。
今、そこにある問題を小説にする相場さんは、時代と一緒に走りながら書く作家という印象です。
相場氏:小説では、近未来を書きたいと思っているのですが、いつも時代が先に進んで追い越されます。今回の想定のしようもなかったコロナ禍では、周回遅れになった気分を味わいました(笑)。
「世界中に火種はあるが、一番ヤバいのは日本だ」!
日本の金融政策に切り込んだ相場英雄氏の最新作『
Exitイグジット』
書籍、電子書籍同時発売
月刊誌「言論構想」で経済分野を担当することになった元営業マン・池内貴弘は、地方銀行に勤める元・恋人が東京に営業に来ている事情を調べるうち、地方銀行の苦境、さらにこの国が、もはや「ノー・イグジット(出口なし)」とされる未曽有の危機にあることを知る。
金融業界の裏と表を知りつくした金融コンサルタント、古賀遼。バブル崩壊後、不良債権を抱える企業や金融機関の延命に暗躍した男は、今なお、政権の中枢から頼られる存在だった。そして池内の元・恋人もまた、特殊な事情を抱えて古賀の元を訪ねていた。
やがて出会う古賀と池内。日本経済が抱える闇について、池内に明かす古賀。一方で、古賀が伝説のフィクサーだと知った池内は、古賀の取材に動く。そんな中、日銀内の不倫スキャンダルが報道される。その報道はやがて、金融業界はもとより政界をも巻き込んでいく。
テレビ・新聞を見ているだけでは分からない、あまりにも深刻な日本の財政危機。エンターテインメントでありながら、日本の危機をリアルに伝える、金融業界を取材した著者の本領が存分に発揮された小説。
果たして日本の財政に出口(イグジット)はあるのか!
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