うわごとでも、追い出した息子に説教
渡辺:そんな折、祖父が末期がんで余命1年の宣告を受けました。祖父は昔から、私に継がせたがっていました。そんな祖父の手を病室で握っていると、夢にうなされ、うわごとを言っているのです。何かと思って聞いてみると、実の息子に説教をしているのです。
星野:後を継がせずに、追い出した息子さんですね。
渡辺:そうです。「この馬鹿(ばか)者! おまえってやつは……」と、余命1年の祖父が夢の中で説教している。それを見たとき、祖父が背負ってきたものの重さがひしひしと伝わってきて、「継ごう」と決心しました。
星野:お父様は、どういうスタンスでしたか?
渡辺:「どっちでもいい」と。あえて、そういう姿勢を見せたのだと思います。
星野:「自分で決めろ」ということでしょうか。
渡辺:ええ。父は、苦労してきましたから。家付きの長男を差しおいて、後を継いだ婿養子です。周りから何やかやと言われながら、放蕩(ほうとう)息子だった長男の借金の後始末も引き受ける、という具合です。そういう後継者としての苦労を知ればこそ、「継げ」とは言えなかったのでしょう
星野:しかし、そのような経緯で家業に入られたなら、歓迎されたのではないですか?
渡辺:歓迎というか……異物感がありましたね。
数字しか信じない人間でした
星野:異物感! 言い得て妙です。若い後継者が家業に入ったときには、確かに「異物感」が付きまといます。そこで事件が起こったり、先代や古参社員と軋轢(あつれき)が生じたりするものです。
渡辺:ええ、ありました。
入社したのは、1993年、29歳のときでした。専務という肩書でした。最初の1年は製造現場を経験し、2年目、いよいよ経営に入るということで、バランスシートや損益計算書を見て、愕然(がくぜん)としました。父からは利益が出ていると聞いていて、当時は、売上高10億円ほどの規模でしたから、経営の難易度はそれほど高くないというのが私の認識でした。ところが、財務諸表を見ると、無駄だらけなのです。無駄な資産や借り入れが多く、金利も高い。
そこから、社内の非効率をあぶり出していきました。私は当時、数字しか信じない人間でした。それはやはり銀行員だったからで、「会社における正義とは、利益を上げることであり、利益を上げない経営なんてしてはダメだ」と、信じていました。その考えは、基本的に今も変わりませんが、今ならば、利益が「経営の目的」でないことは理解しています。当時は、利益こそが目的だと勘違いしていました。だから、非効率なもの、例えば、非効率な資産とか、取引先、従業員などを、どんどん整理していこうというところから、経営にアプローチしていきました。
星野:分かります。私にも、似た経験があります。

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