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 中島聡さんの指摘される「当事者意識」ってものすごく大事なことだと思います(参考記事「『人のせいにするな! 活躍の場は自ら求めよ!』」)。

夏野剛・慶應義塾大学政策メディア研究科特別招聘教授(写真:(C)Singularity Society)

 日本の組織はこの当事者意識をあまり大切にしてきませんでした。そもそも経済が拡大する人口ボーナス期に出来上がった日本の終身雇用システムでは、従業員を解雇せずに使い続ける組織であることが何よりも重要でした。そのためには、「誰にでもこなせる仕事」をたくさん作り、その仕事をローテーションして、誰かから引き継ぎ、誰かへ引き継ぐ仕事の仕方になります。つまり、個性や、自分にしかできないやり方を導入する奴は危険分子となってしまうのです。

  • 誰がやっても同じ成果が出るような組織が大事だ
  • どんな上司にも評価される奴が偉い
  • 自分がやってうまくいったやり方は他の人もできるように工夫しろ

 こういったことが当たり前のようにはびこると、だんだん「当事者意識」は薄れていくものです。なぜなら、どんなに「自分事」として仕事に取り組んでも、その評価は全く違う軸、つまり他人が模倣できるか、誰でも同じようなことができるか、という切り口で見られるので、自分の個性、成果が残っていかないからです。

 日本の大会社では、素晴らしいイノベーションが起きたとしても、社史に個人名が残りません。個人名と言えばその時の社長の名前くらいです。大きな成果が出たのは、その時の会社全体の力である。業績が良くなったのは全社員の力が結集されたからだ。そういう哲学が長い間継承されてきました。もしそうであれば、本当の意味の経営者や改革者は不要だということになります。

日本企業の評価軸を外から見ると…

 ちなみに上記の3つはグローバルに評価すると、

  • 誰がやっても同じ成果になるということは、もっとできる奴が能力を惜しんでいる、つまり基準そのものが低い可能性が高い
  • どんな上司にも評価されるということは、個性がなく、主張がない、意志のない人間である可能性が高い
  • 他の人のことを考えるくらいだったらぶっちぎりの成果を出す方に力を使ったほうが組織のためになる
になります。

 「当事者意識」というのは、仕事を「自分事」として捉え、自分の全能力、全可能性を懸けて立ち向かうことです。スポーツ選手は長い間のトレーニング、それまでの全人生を懸けて競技会に臨みます。ビジネスマンにとっては、仕事が競技会。まさに「全身全霊」を懸けて仕事に臨むのが当たり前のことだと思います。

 もちろん生活の糧を得るために「いやいや」働いている人もいるでしょう。それはプロフェッショナルな仕事をしている人ではありません。そういう人は費やしている時間に対して対価としてもらうお金の多寡で仕事をするかどうかを判断すればいいのです。他のことに情熱を費やしていけるから、それはそれでとても幸せなのだと思います。