いわゆる「格差」が小さいといわれる日本にも間違いなく格差はあります。その格差は、いわゆる大企業と零細企業という所属組織による違いだけに限りません。同じ組織で働いていても格差は存在するのです。
日本の大企業にはいわゆる年功序列、終身雇用、横並び人事が根強く残っており、同じ会社に属していれば、大きな差はないと思われてきました。確かに米国では、S&P500種株価指数を構成する企業のCEO(最高経営責任者)の報酬(中央値)は1394万ドル(約15億3900万円)に上る一方、生産部門の一般従業員の年収(同)は3万8613ドル(約425万円)で、約360倍の格差があるそうです*。日本にこのような統計はありませんが、トヨタ自動車で38倍、ソニーで100倍、日立製作所で25倍(いずれも2017年)など比較にならないほど低いとの報道があります。
*:米労働総同盟産別会議(AFL-CIO)の「Executive Paywatch(エグゼクティブ・ペイウォッチ)」による
日本の大企業においても格差はあるのです。しかもその格差は、収入以上に仕事の内容において、それも年齢が上がるにつれて大きくなります。
40代まで、差は見えづらいが……
(著者近影 (c) naonori kohira)
多くの大企業において、30歳代までは、同年代の従業員の間で大きな収入格差も役職の格差もありません。一般に体力があり、能力差を時間で埋めることができるからです(近年は働き方改革が求められ、残業して遅れを取り戻すことすらできなくなってきていますが)。
ところが40歳を越える頃から同期・同年代の中で、「あいつはエリートだから」とか、「あいつは役員候補だよな」というささやきがされるようになります。これは、役職が上がり責任が重くなるにつれ、個人として仕事の成果を出すことよりも、組織としてより大きな成果を上げることが求められるようになり、成果に大きな差が出るようになるからです。
もちろん与えられたチャンスによって運・不運はあるでしょう。しかし、始まりがどんな小さな組織でも、成果を出すリーダーは、次により大きな組織、責任を任されるようになります。その繰り返しで、いわゆる「出世」する人としない人が大きく分かれるのです。
日本の大企業の場合、大きな責任を担い、大きな成果を上げている社員とそれほどでもない人の収入差は、同年代である限りそれほど大きくありません。ですから40代の間はそれほどの「格差」を感じることはありません。しかし、役職の差、与えられるポジションの差、呼ばれる会議の重要性の差、勤務地の差はどんどん大きくなっていきます。結果を出し続ける人は、もちろん経営者の目にとまり、次世代の幹部候補として認識されるようになります。
“脱落組”は“妖精さん”へ
そして50歳くらいになると、突然その格差が目に見える形で突きつけられます。その第1弾は「早期退職制度」です。最近多くの大企業で管理職を対象とする早期退職制度が話題になっています。
もちろん多くの場合、誰でも応募できるものではあります。ですが、実際は、多くの企業の人事部が対象者リストを作成しており、いわば成果の出ない管理職を狙い撃ちにしているのです。
次に来るのが「役職定年」です。多くの管理職は50歳、52歳、55歳で「役職定年」を迎え給料が30%以上下がります。ところが、その時点であるランク以上に出世している人は対象にはなりません。もちろん収入も減りません。一般的な大企業では、この時点で収入が減らされることなく「生き残っている」同期社員は1割以下です。この1割以下の生き残り組と、9割超の脱落組には大きな収入格差(もちろん何十倍ではありませんが…)が生じます。格差は収入だけではありません。それ以上に大きな「やりがい格差」が生じるのです。
生き残り組は、会社の幹部として、マネジメント層として、より大きな視点で、会社の経営に携わっていくことになります。長く働いてきた会社を背負っていく感覚。まさに会社員人生の醍醐味を味わいながら、より大きな責任を担っていきます。収入もそれ相応に増えていきます。ヒラ社員時代には考えられなかった権限や自由度を手にして、経営にまい進していきます。
一方で脱落組は、一社員として、あるいは子会社の管理職として、残りの会社員人生を「消化」していくことになります。どの大企業も現行65歳まで、近い将来、政府要請による定年延長が実現されれば、70歳までの雇用機会を提供してくれます。しかし、収入も権限も、そしてなんと言っても、仕事をしている醍醐味がどんどん小さくなっていきます。そういう事実と折り合いを付けて、マイペースで生きていくことになります。
最近ではこういうおじさん・おばさんを若手が「妖精さん」と呼んでいるそうです。仕事に対する貪欲さや向上心を失い、競争心もなくなって達観している脱落組は、まるで仙人か妖精のようにみえるそうです。
日本は実力社会ではないが、復活のチャンスもない
近年、この両者の違いはさらに大きく開いてきています。大企業で社長や副社長クラスまで駆け上がった人には、企業を離れた後も様々な機会が与えられます。社外取締役や業界団体の理事、あるいは実務家としての大学教員や、公的機関における民間登用ポジションなど。政府の委員会で活躍する元経営者もたくさんいます。
つまり60歳代後半になっても、70歳代になっても、場合によっては80歳代になっても仕事の依頼が来る人たちがいます。一方で、妖精さんたちは、退職後は年金暮らしとなります。最近は60歳代の起業が年代別の企業数のトップと聞きます。しかし多くの方は社会からリタイアすることになります。
当然この両者の生涯の収入格差はかなり大きくなります。
日本は米国ほどの実力社会ではないし、格差も少ないから大丈夫だと思っているみなさん。もちろん中島聡さんが言われるような米国の実力主義ほど厳しい競争ではないかもしれません(関連記事「実力主義の米国で生き残れる日本人はわずか、されど…」)。そして40歳前にはあまり格差は感じないかもしれません。
しかし人生80年時代の今、50歳から可視化されるこの大企業内格差は、なまじ同格で30年余り過ごしている分、厳しいものとなります。そして成功者に対する怨嗟(えんさ)嫉妬の原因となります。リタイア組がリベラル的な主張に傾きやすいのも、反権力を叫ぶ人が多いのも、こういう背景があるからではないかと感じています。
すべての人が生き残り組になれるわけではありません。しかも優秀だから残れるというわけでもありません。運や縁、社会情勢や景気という自分ではどうしようもない要素も関係します。ただ、企業の中だけで人生を完結させていると、脱落したときに逃げ場がなくなります。そういう意味では、繰り返し復活のチャンスのある米国よりもリスクは大きいかもしれません。
今やるべき2つのこと
ではどうすればいいのか。まずやらなければならないのは全力を尽くし続けることです。日本の大企業にいるからといって、手を抜かず、安心し過ぎず、言い訳せず、みずからの能力を磨き続け、食わず嫌いをせず、常にマーケットに敏感に、真剣勝負を続けること。
そして、もう1つは複線志向です。幸い近年、副業・兼業の解禁が声高に叫ばれるようになり、多くの企業で認められつつあります。また働き方改革で、拘束時間もどんどん短くなっています。何かやってみましょう。本業があれば収入は二の次です。自分のやりたかったこと、イケると思っているけれど手を付けてないこと、いろいろ理由を付けて先延ばししてきたこと、に早速取りかかりましょう。
IT(情報技術)が普及し、情報がいくらでも手に入るようになった今、「経験がなければできないこと」「知識を持ってなければできないこと」がどんどんなくなっています。しかもテクノロジーを使えば新規参入者が勝つことも珍しくありません。人生を楽しく生きるか、生きないか、これは収入の格差よりもはるかに大きな問題です。
日本の現状に甘えることなく、自分の人生を自分で切り開いていきましょう!
この記事はシリーズ「シンギュラーな技術を生み出せ!~「未来の作り手たち」へ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?