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 連結売上高15兆500億円、営業利益6900億円。ホンダの2020年3月期の業績見通しだ。減収減益となるものの、日本の製造業では屈指の収益の規模だ。それでも最近のホンダには「らしくない」「革新性が薄れた」など厳しい声が向けられる。そんな中、かつての栄光を取り戻しつつあるのがフォーミュラ・ワン世界選手権(F1)だ。15年の復帰当初は苦闘が続いていたが、19年シーズンでは復帰後初優勝を果たし、17日にはワンツーフィニッシュを達成した。一時はどん底を味わいながらも、エンジン開発の現場を率いる人物が常に思い描いていたのが、ホンダの未来だった。

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(1)ホンダらしさは数値より「柴犬」 新型フィットの決断

 11月17日のF1のブラジル・グランプリ(GP)決勝。レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン(オランダ)が優勝、2位にトロロッソ・ホンダのピエール・ガスリー(フランス)が入った。ホンダ勢がF1でワンツーフィニッシュを飾ったのは、1991年の日本GPでアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーのコンビで達成して以来、28年ぶり。この日はちょうど、創業者・本田宗一郎氏の誕生日。セナの故郷、ブラジルを舞台にした特別な勝利となった。

F1向けエンジンの開発の責任者を務める本田技術研究所のHRD Sakura浅木泰昭センター長(右)は北米向けV6エンジンの開発や初代「N-BOX」の開発を手掛けた(写真:Peter Fox / Getty Images)

 何よりも喜んでいるのが、ホンダのF1向けエンジンの開発責任者を務める本田技術研究所のHRD Sakura浅木泰昭センター長だろう。

 「入ったときのホンダが好きだった」。そう振り返る浅木氏がホンダに入社したのは1981年。F1参戦の第1期(64~68年)を経て、72年には米排ガス規制に対応したCVCCエンジンの開発に成功したホンダ。開発現場には自負も人材もあふれていた。

 「先輩はみんな社長みたいな雰囲気。飲みに行くと『シビック』の開発責任者はデザインを全部自分がやったんだぐらいのことを語ってしまう」。技術研究所には、まさに腕に覚えあり、野武士のような人々がゴロゴロいたという。入社2年目でF1エンジンのテスト担当に抜てきされた浅木氏。勝利に向け悪戦苦闘する一方、ホンダという会社は急速に成長した。「会社が大きくなれば、『安定』を求めて入るような人も増えてくる」(浅木氏)

 それでもしばらくは「レースのホンダ」は健在だった。浅木氏らの手によって始まったホンダのF1第2期は88年、アイルトン・セナとアラン・プロストを擁したマクラーレン・ホンダが全16戦中15勝という圧倒的な成績を収めた。