1920年創業の、日本を代表する自動車メーカーの1つであるマツダ。デザインやプロダクトに高い評価がある同社の経営は、どのようなものなのか。本稿では、過去記事を参照しながら考察していく。

マツダの沿革

 マツダは、1920年に東洋コルク工業として創業した、自動車及び同部品の製造・販売を事業としている自動車メーカー。フォードとの提携関係は1979年以来と長く、1996年には同社の傘下に入ったが、リーマン・ショック以降はフォード離れが進み、2015年にはグループから完全に独立した。マツダのプロダクトは、人間を中心としたモノづくりやその独自のデザインに定評があり、世界でも高い評価を受けている。

マツダの“逆張り”戦略、感性に訴える地味技術

 規模を追う戦略を採る大手は自動運転や環境技術のリーディングカンパニーを目指すが、マツダは、同社の幹部が「運転しないクルマなんて楽しくない」と話すとおり、自動運転の開発競争には深入りせず、人間を中心に据えたクルマづくりを追求している。普段はどうしても業界の潮流とされる自動運転などに耳目が集まるが、こうした中小メーカーの「逆張り戦略」も市場の評価は高い。その例が、マツダのGVCの技術だ。松本浩幸・同社車両開発本部長(2016年当時)は、同技術を「地味」と形容する。GVCは雑ぱくに言ってしまえば「なんとなく運転がうまくなった気になる」技術だ。エンジン出力のごくわずかな調整により、車体の荷重を前後に移動させる。曲がり始めでは荷重を前にかけ、前輪の挙動が車体に伝わりやすくする。カーブから抜ける際には逆に後輪に荷重をかけ、立ち上がりを安定させる。効果として、悪路でのふらつきを抑え、カーブを曲がる際にはハンドル操作をスムーズにするという。

なぜ、マツダのデザインはカッコいいのか?

 こうした人間を中心とした技術に加え、マツダはデザインにも定評がある。マツダデザインがカーデザインにおいて生命感を重視するのは、近い将来、クルマが自動運転などより単なる移動手段になってしまうのではないかという危機感があるからだという。生命感を感じさせるスタイリングにすることで、いつまでもクルマが“愛車”という存在であり続ける。そんな人とクルマの関係性を維持したいと考え、2010年からデザインテーマ「魂動デザイン」を掲げ、真に美しいクルマの造形を追求してきたのだ。

実は現在のマツダは一番難しい局面にある

 しかし、コラムニストのフェルディナント・ヤマグチ氏のマツダ取締役専務執行役員・藤原清志氏(2018年当時)へのインタビュー記事では、マツダが当時抱えていた課題が考察されている。例えば「世界中で需要が高くなっているEV車はいつごろ出すのか?」というヤマグチ氏からの問いに対し、藤原氏は「我々マツダのつらいところは、今の段階で『高い値段でクルマが売れるブランドではない』ということです」と答えている。どのブランドでEV車を出すかは、非常に難しい問題なのだという。

理想を追え、ただし合理的に

 そんなマツダが「モノ造り革新」に踏み切ったことがあった。燃費の改善に加え、楽しい走りと、お手ごろな価格も実現しようとしたものだが、親会社のフォード、日本国内ともに返ってくる反応は鈍かった。そのフォードは2008年のリーマン・ショックでマツダ株の大半を売却、11年には東日本大震災が発生、改革の途上でマツダは窮地に追い込まれた。同社は09年に増資と自社株の売却で933億円、12年には公募増資で1442億円、劣後ローンで700億円を調達し、同社は12年に待ちに待った新世代車種群の最初の1台「CX-5」を発表。世界中で大ヒットとなり、ここから16年まで8車種の新型車が投入され、為替の円安反転も重なり、業績は急回復した。

マツダ、どん底でもモデルベース開発に邁進(まいしん)したワケ

 現在、世界中の自動車メーカーが採用しつつある「モデルベース開発(以下、MBD)」。「自動車をどのように動かすか?」を数値化(微分)して開発していく手法だが、世界に先駆けてMBDに着手したのがマツダのMDI(マツダ・デジタル・イノベーション)だった。「企画、開発から製造まで、すべて3Dのデータで行う」という先見性のあるこの企画は、マツダが5チャンネル化の失敗で業績が悪化、フォードに傘下入りした年に始まった。その決断に至った背景を、木谷昭博執行役員、MDI&IT本部長に聞いた。

予算がない、だからこそ先に走り出せたマツダ

 マツダがMBDに踏み切れた要因の1つは、当時同社には潤沢な予算がなかったからこそだと、木谷氏は語る。MBDは、全社で一斉に、とことんまでやる気で取り掛からないと効果が出ない。なまじ各部署の予算が潤沢で、個別に進めていたら、かえって、企画から製造まで「まるごと1台」シミュレーションする話は進まなかったかもしれないという。マツダがMBDで先行してリードを保っている理由は、「全社挙げて、一気に、とことんまで」という、取り組み方そのものにある。木谷氏は金井氏とタッグを組み、MDIをマツダに導入し、それを力のよりどころにしつつ、マツダを大きく変える「モノ造り革新」に踏み切ったのだ。

マツダ、さらばアクセラ 世界ブランドへ本気のシフト

 そんなマツダは、2019年5月24日、大きな決断をする。日本で「アクセラ」として販売されてきた主力商品を、「マツダ3」に車名変更し、販売を開始したと発表したのだ。これは、設計やエンジンなどを見直した新世代商品群の第1弾。都内で開いた発表会で、丸本明社長は「規模の大きくないマツダとして存続するため、必要なのは独自性だ」と訴え、フルモデルチェンジに自信を見せた。例えば、マツダ3のシートはドライバーの骨盤を立たせるような設計にした。体のバランスを取りやすくすることで、ドライブ中も疲れにくいという。また、自動車の側面に凹凸をつける「キャラクターライン」と呼ばれる線をなくし、デザインをより滑らかにした。「ラインが無い分、鉄板をプレスする際の圧など熟練の技術が詰まっている」と商品本部の別府耕太主査は話す。

マツダ3、「匠の技デジタル化」で海外生産高速立ち上げ

 2019年6月1日と2日に開催された、地域の住民などを招いて技術や製品を紹介するイベント「マツダオープンデー」では、その「MAZDA(マツダ)3」で発揮された、技術やデザイン、生産部門の最新の取り組みを紹介した。マツダ3は、2018年9月に日本で生産を開始し、19年1月にはメキシコでの生産に乗り出した。わずか4カ月でグローバルでのクルマ造りを実現したのだ。19年5月にはタイでも生産が始まった。早期に世界での量産体制を構築できた理由の1つが、「匠の技」のデジタル化にある。マツダでは約20年の経験がある熟練の技術者は「匠」と呼ばれ、国内外の生産現場で後進の育成にあたっている。今後は匠の動きをデジタルデータとして記録し、幅広い社員が自分の動きとどう違うのかを理解するための教材として整備する。

「マツダはこんなクルマを造れるのか!」と驚愕(きょうがく)した夏

 マツダの主力商品の1つ、アテンザ(3代目)。最初は別のデザインで進んでいたが、2010年にミラノで「魂動デザイン」を発表したとき、靭(シナリ)というコンセプトカーが、非常に評判がよかった。そこで、本記事のインタビューに答えてくれた前田育男常務は、「アテンザ、もうちょっとシナらせたいよね」と、言い出したのだという。自らのことを「『そういうもの(として物事を割り切ること)』というのがなかなか納得できない男でございましてね」と語るとおり、商品や経営に関しては一筋縄ではいかない人物として有名だ。その前田氏がテストコースで新しいアテンザを試乗した際、「うちの連中はこんなクルマが造れるんだ!」と非常に驚いたという。

「今さらデザイン大修正だと?」マツダの会議は大荒れに

 前田氏は3回目のインタビューで、当時のデザイン変更の背景にあった出来事を語っている。前田氏がアテンザのデザイン変更を言い出した際、当時の社長、金井誠太氏に怒られたという。開発スケジュールに相当なインパクトを与えないと、骨格まで直せないことは確かだったからだ。前田氏がマツダの「だだっ子三人衆」と呼ばれるのはこうしたゆえんがある。

最後に

 ここまで、マツダの経営や商品に対するこだわりを、過去の記事を振り返りながら伝えてきた。同社はこれまで、人間を中心としたモノづくりに注力し、様々な最新技術なども取り入れ、商品を世に送り出してきた。同社のそうした姿勢から、日本のビジネスパーソンは多くのことを学べるはずだ。今後も同社の取り組みに注目していきたい。

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