世界屈指の規模を持つLCC(格安航空会社)として知られるエアアジア・グループ。本記事では、同社の日本進出から撤退までを、過去のニュースを参考に紹介する。

エアアジアの概要・沿革

 エア・アジアグループは、多くの子会社を抱える世界屈指の規模のLCC(格安航空会社)で、マレーシアのクアラルンプール国際空港を拠点に展開している。1993年に、Tune Airとして設立されるも、黒字化したのは2003年。11年には、全日本空輸(ANA)と手を組みエアアジア・ジャパンとして日本進出を図るが、ANAと方向性の違いにより撤退。その後、新生エアアジア・ジャパンとして日本での展開を開始するが、コロナ禍などの影響により、20年に再び日本から撤退することになる。以下では、その経緯や直近の動向などを紹介する。

トニー・フェルナンデス(Tony Fernandes)[マレーシア・エアアジアCEO]

 エアアジア・グループの最高経営責任者(CEO)、トニー・フェルナンデス氏について、2011年に同社と手を組み、LCC、エアアジア・ジャパンを設立したANAの社長(当時)、伊東信一郎氏は、弊誌の取材で以下のように述べていた。

 「トニーの持つ人生訓は、『夢を見ること。かなえること。信じられないことを信じること。夢を見ることに挑戦し、NOとは絶対に答えないこと』。彼の人柄、ビジネスはまさにこの言葉通り」。

「格安」エアアジアでハワイまで飛べる!?

 アジア最大のLCCであるエアアジア・グループは、2012年8月にエアアジア・ジャパンとして、一度は日本市場に進出した。しかし、当時手を組んでいたANAとの思惑の違いや予約システムの使いづらさなど、さまざまな問題で13年10月に撤退を余儀なくされてしまう(なお、もともとのエアアジア・ジャパンはバニラ・エアに社名を変更し、19年にピーチ・アビエーションと経営統合するまで存続)。

 しかしその後、楽天などをパートナーに迎え、エアアジア・グループは日本市場への再参入を目指し、新生エアアジア・ジャパンが14年に誕生。就航時期は、16年7月下旬から8月を見込んでいた。

 同社の会長を務めていたのは、井手隆司氏。同氏は、15年に経営破綻したスカイマーク(16年3月に民事再生手続きを終結)の旧経営陣の一人として、ANAや日本航空(JAL)とは距離を置いた第三極の存続にこだわった。そして15年9月にスカイマーク会長を退任し、エアアジア・ジャパンの経営に参画した。2度目の日本参入となるエアアジア。新体制では、どのようなLCCになるのか、大手航空会社とはどう戦うのか、その動向に注目が集まっていた。

東南アジアの空を巡る果てなき消耗戦

 前述の通り、ANAと袂(たもと)を分かったエアアジア・グループは、2014年からエア・アジアジャパン(バニラ・エアとは別会社)として、日本進出を果たした。しかし、19年には業績が低迷。19年5月29日に発表した同年1~3月期の連結決算は、純利益が前年同期比で約9割減少した。前年同期に子会社の売却益を計上した反動や、新しい会計基準の導入でリース償却費用が膨らんだことが主因だが、座席当たりの旅客収入も低迷しており、値下げ競争の激化が利益を圧迫した。

 ほかの東南アジアの航空会社も、同様に業績が低迷していた。実際、タイ国際航空やバンコク・エアウェイズ、シンガポール航空も前年同期比で減益となり、タイのLCC、ノック・エアラインズは最終赤字を計上した。

 その背景には、LCCの成長に伴う身を削る値下げ競争があった。というのも、オーストラリアの航空関連シンクタンク、CAPAによれば、東南アジアはLCCの成長が他の地域に比べて当初は遅れ、1990年代末までは2社のみが運航していたという。しかし2000年代に入ると、LCCの存在感は急速に高まり、座席数は08年から18年までの10年で4倍になった。相次ぐ新規参入により旅客機の数は過剰気味となり、各社は収益を確保するのが困難になったのだ。

エアアジア、日本撤退に透けるしたたかな戦略

 そして、2020年マレーシアを拠点とする東南アジア最大の格安航空会社(LCC)、エアアジア・グループが日本事業から撤退すると報じられた。コロナ禍によって世界的に渡航制限が敷かれ、グループの経営が悪化していることや、日本市場の回復が見込めないことがその理由という。

 中部国際空港に本社を置き、新千歳や福岡、仙台、台湾・台北との往復便を運航していたエアアジア・グループの日本事業は赤字が続いていたため、未曽有の危機を乗り切るために事業を断念せざるを得なかったとの見方は間違いないだろう。一方で、エアアジア・グループが東南アジアで進めてきた新事業と照らし合わせて見ると、今回の撤退には別の側面も浮かび上がってくる。

 日本事業から撤退する可能性があることは、既に20年9月7日にロイター通信がトニー・フェルナンデスCEO(最高経営責任者)への取材を基に報じている。記事によれば、同CEOは「日本事業について厳しく見ている。近く決断することになる」と話した。その背景について詳細な説明は避けたというが「豊富なキャッシュがあれば事業継続は可能だったかもしれない」と、日本からの撤退が資金不足によるものだと示唆した。

日本撤退エアアジア、背水の戦略転換

 エアアジア・グループのこの決断は、同社の戦略転換を象徴していた。東南アジアLCCの先駆けとしていち早く市場を押さえたものの、近年は台頭する競合とのシェア争いが域内で激化し「価格競争力は薄れてきていた」(タイの金融アナリスト)。そこで2018年ごろから航空機リース事業など非中核事業から撤退しつつ、新しい成長分野としてデジタル関連事業に注目してきた。

 20年9月24日には、グループ内の複数のデジタル関連事業を「エアアジアデジタル」ブランドに統一したと発表。ホテルや航空券予約、決済、ネット通販などを統合したいわゆる「スーパーアプリ」を10月にも東南アジア各国で展開する計画を明らかにした。空運で培った商品や食品販売のノウハウを生かし、ほぼ自前でネット通販からホテル予約まで展開。こうしたサービスをポイントプログラムでつなぎ合わせて相乗効果を狙う。

 CEOのトニー・フェルナンデス氏は「以前からデジタル関連事業には力を入れていたが、新型コロナ禍を契機に取り組みが加速した」と話している。経営の軸足がデジタル関連事業の強化に移れば、日本事業の重要度は薄れる。世界の旅客需要を吹き飛ばした新型コロナは不採算市場から撤退し、選択と集中を進める大義名分としては十分だ。そこでこれを奇貨に日本からの撤退を決めたと考えられる。

最後に

 ここまで、エアアジア・グループの概要や日本進出と撤退までを紹介してきた。同社はLCCとして、アジアを中心に展開。日本にも進出を果たすが、1度目の挑戦はANAと袂を分かち撤退。その後、再び進出を果たすも2020年、コロナ禍を原因に再び撤退することになる。しかし、これを機会に同社は、デジタル事業に大きくかじを切る。今後、エアアジア・グループがどう進化を遂げていくか、注目する必要がありそうだ。

 さらに詳しい記事や、会員限定のコンテンツがすべて読める有料会員のお申し込みはこちら

この記事はシリーズ「テーマ別まとめ記事」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。