門戸拡大に伴って、たくさん優秀な人材が教育の現場に流入しているなら良いが、現実はむしろ逆。「本来、教職は、卒業式に『ありがとう』と生徒から言われることで、それまでの苦労の全てが吹き飛ぶ感動的な職業。ただ世間では、生徒に向き合う大変さや残業の多さなどから『ブラック職場』と受け止められつつある。残念ながら、賢い学生ほど教職を敬遠しているのが実情」。義家氏は強調する。

 世間では、「文部科学省を含め教育行政を担う当局は、必要な改革をしてこなかった一方、余計な改革には力を入れてきた」という印象を持つ人も少なくない。“余計な改革”の筆頭が、過去、段階的に取り入れられてきた「ゆとり教育」(狭義のゆとり教育は02年度から。広義では80年代からの方針)。一連の“ゆとり糾弾派”の多くは、日本の公教育は次のような形で衰退したと考える。

  1. ゆとり教育の導入で、授業数と内容が大幅に減り、クラスの中の生徒の多くが塾へ通うようになる
  2. 塾で授業の内容を先取りして学習をした子供たちは、レベルが高くない学校の授業を聞かなくなる
  3. どんなベテラン教師でも、3分の1の生徒が話を聞いてくれないような状況では授業の成立は不可能。こうして「学級崩壊」が発生し、学校は勉強する環境ではなくなった

公教育劣化の原因は、子供たち自身にある!?

 ただ教育界の中には、公教育迷走の本当の原因はゆとり教育とは別のところにあるという主張もある。そう訴えたのは、1980年代から公教育の行方に警鐘を鳴らしてきた「プロ教師の会」。埼玉県の公立中学に勤務していた教師の集まりである彼らが、2007年の著書『教育大混乱』(洋泉社)で指摘した公教育衰退の真因を簡単に言うと、「1980年代から子供たちが変容し、学ぶ気持ちを持たなくなったから」となる。

 主張が正しいとすれば、60~70年代までは生徒は、従順に先生の話を聞いたかはともかく、少なくとも「学ぼうとする気持ち」はあったことになる。中高年の読者の方、どう思われるだろうか。

 特集取材班の最終的な見解は、「言われてみれば、確かにそうだったかもしれない」だ。例えば取材班の中に、80年代前半、四国の田舎町から首都圏の中学へ転校した経験を持つ者がいる。四国の中学のクラスには、丸刈りでそり込みを入れた“ツッパリ”もいたし、集中して先生の話を聞けない“問題児”もいた。しかし先生が質問するや否や、全員が元気に挙げて質問に答えようとしていた。そんな記憶が鮮明によみがえる。

 それだけに、転校先の都会の中学では面食らった。先生が質問しても、誰一人手を挙げようとはしなかった。誰もが下を向き、先生の話を聞こうとせず、そこに「学ぼうと思う気持ち」は見えなかった。80年代前半は、プロ教師の会が指摘する「子供たちの変容」が始まった時期。国も「ゆとり」を意識し始めた時期である。子どもたちの変容は恐らくそれは都会から始まり、田舎へと広がっていったに違いない。

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