「僕には担任の先生がいない」。東京都内の公立小学校に通う2年生のB君はこう話す。

 2年半前に入学したその日から、本来B君のクラスを担当するはずだった教師が学校に来なくなった。「心身の不調」「先生間のいじめ」……。原因について様々な噂が立ったが、学校側は理由を明らかにせず、副校長や別の教員が入れ代わり立ち代わりそのクラスの臨時担任となり、1年が過ぎた。

 2年生になったこの春、今度は、定年後に再任用された教員が形式上、担任になった。ところが周りのクラスに比べ年配の担任に子供たちはなかなか懐かない。授業がうまく進まず、父兄からの苦情も届く中、1学期が終わるとまた担任がいなくなった。同校ではまるで連鎖しているかのように他の学年でも、教員の途中離脱や臨時補充が相次ぎ、保護者会ばかりが繰り返されている。

改革を先送りし続けた公教育

 生きていく上で必要な読解力や数的思考力を持たない――。そんな「AI未満人材」を増やさないためには、国民にあまねく低コストで教育機会を提供する役割を担う「公教育」(今特集では公立学校での教育を指す)の復権が不可欠だ。だが、実際の公教育は様々な面で問題を抱え「子供が”普通”の人材になるための基本スキルを身に付けさせることも難しい」。そう考える人も、都市部ではもはや珍しくない。

 「取り組むべき改革をしてこなかった公教育と、ニーズに対応して変革を続けてきた私学。どちらが信頼され選ばれるか、考えなくても分かる」。「ヤンキー先生」として知られる法務副大臣の義家弘介氏(元文部科学副大臣)はこう指摘する。

 先送りしてきた改革の1つが「教員の質」の維持だ。一般企業と同様に教員の世界でも、ベテラン職員の大量退職時代を迎え、現場の人手不足を防ごうと数を増やした。小学校教員の新規採用者数は2000年に4000人だったのが、18年には1万6000人と4倍になっている。その結果、試験の倍率はおのずと低下し、12倍を超えていた00年に対し18年には3倍程度にまで下落。東京都内では「2倍を切る」とまで言われ、教職への道は20年前に比べ確実に“広き門”となった。

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