愛国教育反対運動のときも若者たちの抗議が起点だったと思います。今回との違いをどうご覧になっていますか。

 愛国教育反対運動は黄之鋒(ジョシュア・ウォン)がリーダーとして提唱し、主に中学生とその家族、特にミドルクラス(中流階級)の人たちが参加していました。一方今回は、さらに幅広く多様な層が参加しているのと、そもそも香港社会が抱えている閉塞と反発が(愛国教育反対運動のあった)7年前とは比較にならないくらい大きなものになっています。

 愛国教育反対運動、オキュパイ・セントラル、雨傘革命と、いずれも今回の運動と無関係ではありません。これらの運動でも香港社会が変わっていく流れを食い止めることができなかった。その中で蓄積された不満が、今回の運動の根底にはあると思います。

記者注:

 2012年7月、香港政府が導入を検討していた教育プログラム「国民教育」に反対する運動が起こった。同プログラムは「愛国教育」と呼ばれ、6歳以上の子どもを対象として、中国への帰属意識を涵養(かんよう)することを目的とする。導入が検討されていた教材は34ページの小冊子で、中国共産党の一党独裁を肯定し、米国のような複数政党制は社会に混乱をもたらすと否定する内容。建国と発展の歴史に触れながら天安門事件についての言及はない。激しい反対運動が起きて、9月9日、政府は同プログラムの導入を「各学校の判断に委ねる」と発表。事実上、断念した。この運動を先導したのが黄之鋒だった。

6月9日からデモが大規模化していきます。

 参加者は、主催者によると103万人は超えていたといいます。実際の数字は分かりませんが、間違いなく1997年、中国に返還されてから最大規模の、しかも香港社会すべての階層が参加した運動でした。しかし、政府はこの声には応えなかった。行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)は6月12日に条例改正の審議を続けると発言します。これに怒った人たちが朝から立法会の前に立って、午後には警察との衝突がありました。

 私もその現場にいました。5年前(2014年)の12月11日、私は雨傘運動の現場にいて、座り込みを続けた1人として逮捕されています。また再び、警察と衝突するような最前線の現場に立つことになるとは思っていなかったんですが……。

今回は政府の対応が最初からかなり強硬でした。

 警察の対デモ戦略は、5年前の雨傘革命への対応から学んで変化しています。雨傘のときは当初は座り込みを容認していたんです。ですが、結果として長期間の道路選占拠を許し、排除が難しくなった。これを受けて今回、彼らの基本的な方針は、道路占拠や座り込みを絶対に許さないというものです。だから6月12日午後には強制排除のために催涙弾が飛びました。以後、警察の強硬策はエスカレートしていきます。この警察の姿勢が、逆に香港社会のエモーショナル(感情的)な部分に火を付け、デモを勢いづかせてしまった部分があると思います。

(写真/的野弘路)
(写真/的野弘路)

 また、このデモ隊と警察の衝突を受けて、林鄭月娥はデモを「暴動」としました。この発言は、彼女や政府が思ったよりずっと重い。暴動罪の量刑は禁錮10年以上と重いのです。これも怒りの火に油を注いだ。

 その上で、さらに香港社会の感情を揺さぶったのが、6月15日のLさん自殺でした。その日は政府が逃亡犯条例改正の「延期」を発表した日でした。彼は黄色いレインコートを着ていて、これが雨傘革命のイメージと重なったのでしょう。翌日16日のデモは、返還以来最大の規模になりました。参加者たちはデモへの参加人数を「200万人+1人」としました。「1人」とは、亡くなったLさんです。彼が亡くなった場所から道路に沿って花がささげられ、数百メートルにも及びました。