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 9月21日朝。待ち合わせた駅前のロータリーで自らハンドルを握ってきた車から降りると、理知的で穏やかな笑顔を浮かべて握手を求めてきた。

 香港中文大学副教授、周保松。黒縁眼鏡に短髪、ジーパン姿なのはこれまでメディアに登場した写真を見ていたので想像していた通りだったが、その日、彼が黒いTシャツ姿で現れたのは目を引いた。今日の香港ではそれは、デモ隊へのシンパシーを示すものと受け取られる。

香港中文大学の入り口に2011年に立てられた「新民主女神像」の前に立つ周保松(写真/的野弘路)

 彼に会いたいと思った理由は2つある。

 周は自身でデモに参加し、雨傘革命のときには当局に逮捕もされている(*1)。だが、ただ直情的な実践者ではない。大学では政治、行政、哲学などを専攻し、ここ数カ月、激化を続けるデモについても情報発信を続けた。中国広東省生まれであるにもかかわらず中国本土での講演活動などは禁じられ、中国版ブログサービス「微博(ウェイボー)」のアカウントは閉鎖の憂き目に遭っている。現場と言論空間を行き来しながら、共に最前線にいる周は、このデモについて主観と客観の両面で語る「言葉」を持っているはずだと思った。

 もう1つ。連載の第11回「香港デモが組み込んだいくつもの「死」の物語」で触れたが、香港では今、政治的な主張を遺書として残した自殺が増えている。なぜ彼ら彼女らは死を選ぶのか。その疑問を周にぶつけてみたいと思った。周は、大学の指導や政治活動を通じて、日ごろ多くの香港の若者たちに接している。また、同じく第11回で触れたが、6月15日にある男性が自ら命を絶った。その死がデモの群集心理に与えた影響は計り知れない。この「黄色いレインコートの男性」(周は実名で語ったが、この記事では「Lさん」と表記する)の葬儀で、周は心理学者や協会関係者とともに葬儀委員を務めている。その死をどう受け止めているかも聞きたかった。

 周は大学構内にある教職員向けの宿舎に私を招き入れ、インタビューに応じてくれた。

 以下、私の問いと周の答えをお伝えするが、あらかじめお断りしておきたい。周の言葉には、香港の政治システムやデモのこれまでの経緯を十分に理解していないと意味が取りづらいものが多かった。ただ、政治的にセンシティブな内容も含んでおり、私が勝手に言葉を補うわけにはいかない。そこで、注を付けたが、背景説明に字数を要したため周の言葉より注の方が長くなってしまった部分もある。煩わしいという方は、どうしても意味が取れない部分を除いて注を飛ばして読み進めてほしい。

 なお、この記事は自殺についての言及を含む。その必要性や、書くにあたっての配慮については第11回の冒頭に書いた。厚生労働省は自殺防止のための相談窓口を開設している団体のSNS相談リンクをウェブサイトに掲載している。

*  *  *

雨傘革命のときにもデモを取材していましたが、当時と今とでは香港社会の温度感の違いを強く感じます。デモは英国からの香港返還以来、最大の規模にまで膨れ上がりました。

 私も積極的に参加していましたが、5年前の雨傘運動もしくは雨傘革命と呼ばれる運動は何の成果も得られずに失敗に終わりました。(雨傘革命が終わった)2014年末から2019年は、社会運動はあまり起こらない静かな5年間でした。それが、突如、6月に逃亡犯条例の改正に対する反対運動で燃え上がった。一般にはそう思われています。

 しかし、私の考えでは、今回のうねりは6月9日に突如始まったものではなく、ずっと続いてきたものです。そして火が付いたのも、6月ではなく4月だと思っています。

 逃亡犯条例の改正が提出された後、3月末に最初の反対デモが起こりました。ただし参加者は1万人程度でした。そんな中、4月に「オキュパイ・セントラル」の発起人に対して有罪判決が出ます。これに危機感を高めた民主派が逃亡犯条例の改正に関心を寄せ、結果として4月末に起きたデモでは参加者が13万人を超えました。前回の運動は失敗に終わりましたが、今回のデモと底流では繋がっていると言えると思います。

*1:記事公開当初は「周は自身でデモに参加し、当局に逮捕もされている」としていましたが、この「逮捕」が(記事全部を読めば分るものの、この原稿冒頭部分では)2019年のデモでの逮捕だと読めてしまうというご指摘を受け、もっともだと考えましたので、「雨傘革命のときには」を付け加えました。