生命のやり取りに比べれば、大抵の破壊や暴力は正当化される。命を失った怒りや悲しみで政治を語ろうとすればおのずと過激なものになっていく。ここで今回の香港デモは、最初の「変質」を遂げ始めたと私は思っている。「死」の物語を得て熾火(おきび)のようにくすぶり潜んでいたエネルギーは、第3回で書いた元朗襲撃事件など度重なる警察の不作為や暴力で油を注がれ、やがて第6回で触れたような激しい衝突にまで燃え上がっていく。
香港デモはその過程で、さらにいくつもの「死」の物語を取り込んでいった。
6月中旬以降、政府や警察への怒りを書いた遺書を残して自殺する若者たちが相次いだ。その数は少なくとも10人前後に及ぶ。異常な数であり、この記事の冒頭に書いた「ウェルテル効果」と呼ぶべきだろう。彼ら彼女らは、「犠牲者」としてその死に意味が与えられ、生けるデモ参加者たちを奮い立たせた。
死にまつわる奇妙な事件も起こった。8月31日、デモ参加者を排除、拘束するために、地下鉄・太子(タイジー、プリンス・エドワード)駅構内に突如として警官隊が入った。警官たちは多くのデモ参加者と一部の無関係な市民を警棒で殴打し、催涙スプレーを噴霧した。この暴力に対しても批判が集まったが、特に注目されたのは消防や警察が発表した「けが人の人数」だった。当初「けが人は10人」としていたが、やがて「7人」に変わったのだ。
消防や警察は「現場の混乱による手違い」と説明したが、デモ参加者たちの一部はこう考えた。この「消えた3人」は死亡したのではないか。警察や消防はその事実を隠しているのではないか。警察に対する不信が根底にあったこともあって、この噂は瞬く間に広まった。太子周辺のデモに参加していたという友人の行方が分からない、というような書き込みがネットになされて、その噂が広まるのに拍車をかけた。
9月22日の夜、私は旺角(モンコック)駅前から歩いて北上し、この事件の舞台になった太子駅を訪れた。
いくつかの駅の出入り口はいまだに閉鎖されていた。そのうちの1つ、旺角警察署のすぐ脇の出入り口にひときわ人が集まっていた。供えられた何輪もの白い花を、いくつかの缶にたかれている炎が赤々と照らしていた。ひざまずいて線香をささげる人がおり、次々に紙片を火にくべる人もいた。亡くなった人が死後の世界で生活に困らないように、模造した紙幣を燃やす冥銭、紙銭などと呼ばれる風習だろう。そこにあるのは、まぎれもなく祭壇だった。

Powered by リゾーム?