「200万人+1人」返還後最大のデモへ

 ここからの書き方が難しい。

 先に挙げたWHOの自殺報道についてのガイドラインには「自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。あるいは問題解決法の一つであるかのように扱わない」とある。自殺は、決して問題解決のための手段であるべきではない。だが、香港デモがそこから「変質」していく姿を描こうとするときに、この死が、現に香港社会の群集心理に与えた影響は無視できない。

 翌日の6月16日、デモの参加人数は主催者発表で200万人という返還後最大の規模に膨れ上がった。デモ参加者たちは「200万+1人」の抗議を名乗った。この「1人」というのが、15日に死亡した黄色いレインコートの男性だ。魂は共にある、ということだろう。極端に書けば、「条例改正延期でも、まずは勝ち取ったからとりあえずは矛を収めよう」という世論と「撤回まで戦い続けるしかない」という世論の拮抗を、この男性の死が後者にひとつにまとめあげた。

デモ参加者たちは男性の死を悼んだ(写真/的野弘路)
デモ参加者たちは男性の死を悼んだ(写真/的野弘路)

 香港人にとって政府が進めようとしていた逃亡犯条例の改正は、確かに一線を越えた、安全を脅かす許せないものだった。6月13日の記事「香港デモは「最後の戦い」、2014年雨傘革命との違い」の中でもその切実さを書いた。だが、200万人にとってただちに生命に関わるものだったかと言われれば必ずしもそうではなかったはずだ。それでもデモは、「200万+1人」として男性の死を物語として取り込んだ。

200万人デモのさなか、何カ所かで黄色いレインコートが掲げられた(写真/的野弘路)
200万人デモのさなか、何カ所かで黄色いレインコートが掲げられた(写真/的野弘路)

 死に勝る劇的なものはない。

 男性の亡くなった場所に掲げられた言葉を試みに漢文風に書き下すと「民を憂い国に報い、豪風は萬代に垂る。義を取り仁を成し、正気は千秋を照らす」とでもなろうか。まるで英雄をたたえる詩のようですらある。

男性が亡くなった現場には祭壇が設置された(写真/的野弘路)
男性が亡くなった現場には祭壇が設置された(写真/的野弘路)