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 前回は米国議会での「香港人権・民主主義法案」可決のニュースを受けて急遽その解説を書いた。今回は9月21日夜の香港郊外・元朗(ユンロン)に視点を戻そう。第2回第3回で書いてきたものの続きとなる。

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 21時過ぎ。駅直結のショッピングモールでの集会はすでに解散した。

 ショッピングモールでもデモは計画的なものだった。もともと元朗駅での抗議の座り込みが計画されていたが、鉄道会社・MTRが同駅を閉鎖する措置を取ったために、駅構内では集会が開けなくなった。そこで隣接するショッピングモールに集まった。黒シャツを着た若者たちはただ集まり、声を挙げ、歌った。

 ここからデモは、制御と抑制から解き放たれていく。

 やり場のない憤りと高揚を抱えた一部のデモ参加者たちは、帰途につくことなく、ショッピングモールを出て、警官隊が待ち構える元朗の街に流れ出ていった。目的地というものはない。ただ、夜の街に繰り出していく。全員がともに動くというよりも、数人から十数人の集団がいくつもできて、おのおのが自分たちの判断で動いている。

 ただしまったく相互に連携していないというわけでもない。彼ら彼女らは「テレグラム」というメッセージアプリを多用し、相互に連絡を取り合っている。テレグラムは、通信の暗号化を徹底するとともに、サーバー側に痕跡を残さずクライアント側だけにメッセージが記録される方式を取ることで高い秘匿性を実現していると言われるロシア製のソフトウェアだ。通常のメッセージアプリを使っていると、サービス提供会社が警察や政府からの要請でログを開示したり、されなくても通信を傍受されたりする可能性があり、デモに参加した動かぬ証拠を握られる可能性があると彼ら彼女らは考えている。

 これと別に、インターネット上で運営されている匿名掲示板「LIHKG」でもさかんに情報がやり取りされている。いつ、どこでどんなデモがあるのか。鉄道は動いているか。バスは動いているか。そしてデモ参加者にとって何より重要な、どれだけの警官が、どれだけの装備でどこにいるのか。そうした情報が常に書き込まれて共有されている。

 個々の参加者はあくまで自分たちの意思で動いている。カリスマ的なリーダーによる声高な誘導がなくても、スマホアプリでやり取りされる無数のメッセージや匿名掲示板の情報が、その自律的な個と個を互いに、緩やかに結んでいく。

 「水になれ(Be water)」

 香港が生んだスター、ブルース・リーがかつてインタビューに応えた際に使ったこの言葉を借りて、デモの参加者たちは自分たちの運動の在り方を語る。柱を立てて堅牢な壁を作ろうとするのではなく、水のように融通無碍に動き、止まらず流れ続け、しなやかであろうというものだ。いわば中心なき無限の連鎖、ドゥルーズ/ガタリが呼ぶところの「リゾーム」。このあまりにインターネット的な思考に基づく運動方針は、リーダーたちの捕縛や組織の分裂によって自滅していった5年前の雨傘革命の教訓の上に生まれたものだ。

 リーダーなき水のような闘争。だから今回の香港デモは「倒れなかった」とも言えるし、「倒れられなかった」とも言える。その功罪両面についてはこの連載で後ほど触れたい。

警官たちの抑制と暴走

 ショッピングモールでの集会が解散したのち、おのおのの意思で街に散ったデモ参加者たちを追った。

 広東語を十分に読み書きできない私は、匿名掲示板でリアルタイムに情報を入手することができない。また、香港の駅前は大抵そうだが、元朗駅前の周辺にも30階を超えるマンションや団地が林立しており、歩道橋など高所に立っても見通しが悪い。だから、この街のどの路地で何が起こっているかを把握するのは難しかった。どこからから聞こえる怒声や歌声、サイレンの音、夜空にビルを照らす警察車両の赤青の回転灯の光などを頼りに路地を右へ左へと走った。すでに交差点は警察車両で封鎖され、バスやタクシー、乗用車が立ち往生している。路上に満ちている武装した警官隊を掻き分けるようにして進むしかない。