(前回から読む)
デモの現場に足を踏み入れなければ、香港の日常はほぼ回復している。
観光客として香港を訪れた人には、特に昼間は、この地で燃え上がっている政治の炎の熱を感じ取るのは難しいかもしれない。立錐の余地もないほどそびえ立つビル群。道路までせり出す広東語の看板。行き交う2階建てのバスやトラム。街を歩く多国籍の人々。交差点で視覚障害者を導くためにきりきりとせわしない音を立てる誘導音も、せっかちな広東人を満足させるために驚くほど早く動くエスカレーターも、いつも通りの香港の日常から何も変わっていない。
だが注意深く目を配りながら歩いていると、いくつかの痕跡に気づく。



そもそも香港は、同じ国際都市でもシンガポールのような整然とした街ではない。私は2012年から2014年までのおよそ2年間住み、洗練に猥雑が同居するダイナミズムにこそこの街の魅力があると感じていた。だが今、スプレーで書きなぐられた落書きや、破壊された監視カメラ、割られた窓ガラスがそのまま放置されているのを見ていると、何かこの社会が一線を越えようとしている、あるいは越えてしまったことを静かに突きつけられているような気分になる。
それは5年前の民主化デモ・雨傘革命を取材していた当時、2014年には抱かなかった感覚だ。
香港の面積はおよそ1100平方キロメートル。札幌市程度の広さしかなく、しかもその面積には居住に適さない傾斜地や離島も含まれている。巨大な大陸から突き出したその僅かな広さの半島と島嶼に住んでいる住民の数は700万人以上。この人々がひしめき合う世界有数の人口密集地域は今、確かに日常を取り戻しつつある。だが同時に、その日常と重なるようにして、すぐ裏側には断絶と対立が渦巻いている。昼間には落書き程度にしか見えないその傷口は、とりわけ日没後、夜が更けていくにつれてうずきとともに開いていく。
「香港デモ」と4文字で描かれるものの実際の姿を読者の皆さんに体感してもらうために、今回と次回以降の記事で写真とともにその実際を点描したい。これからこの連載で読者の皆さんと一緒に探っていこうと思っているいくつかの論点を考える上でも、その姿を知っておいていただく必要がある。
時は9月21日19時過ぎ。すでに陽は沈み、半月よりもやや豊かな月が明るい夜だった。場所は香港郊外・元朗(ユンロン)――。
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